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発掘された未来

眠りから覚めたビットは、いつものようにお湯を沸かして熱い珈琲を淹れる。窓辺の腰掛から眺める景色は、見慣れた起伏だらけの未開拓地にすぎない。それでも、彼は好き好んで、まるで絵画を鑑賞しているみたいに、凸凹を数えたり、その窪みの形状を楽しんだりした。ビットにとって、この朝のひとときは、誰にも邪魔されたくない、たったひとりきりの至福の瞬間だった。

だからというわけでもないのだが、彼には妻も子もいなかった。結果論からいえば、もし妻子がいたとしたら、呆れられて三行半を突きつけられていただろう。そのマイペースさが原因で、いくつかの仕事のチャンスもふいにして、いつまでも安月給のままでいるのも、彼らしい一面だった。

ビットにとって、日々は変わらない存在だった。どこまでも平坦で、いつまでも歳をとることのない、不滅のものだった。もちろん、それが間違いであることは、彼だってよく知っている。誰もが歳をとるし、社会は良くもなれば悪くもなる。それでも、彼の周囲だけは、異なる大気をまとった惑星のように、すべてから切り離されていた。

彼に舞い込む翻訳の仕事は、古代火星語の現代語訳だった。日々の生活よりも、古代火星の世界観にうっとりするほうが、彼にとって心地よかった。荒れ地はかつての繁栄の名残をとどめ、あの丘陵にそびえていたであろう尖塔のことや、向こうの窪地を切り拓いた水族館のことなど、知れば知るほど寂れた世界は彼の中で息を吹き返した。

文書のなかには、奇妙な伝記も含まれていた。訳するほどに現代に瓜二つで、あり得ない世界ではなかったが、見たことも体験したこともない雰囲気に包まれていた。

*

このように、ビットという名の男が二億年後に感じることを、古代の火星人たちは的確に予言した。彼の目蓋の下のほくろの位置まで正確に言い当てていた。ビットがこれからの死までの平凡な生活をどう過ごしていくか、何を考えていたのか、さらには彼を取り巻く社会的変化までをも、未来を理路整然と編纂していた。この予言書が発掘されて翻訳されることも書かれていた。さらにその後のことも。

この文書がビットの目に触れることは一切無い。触れれば予言はループして崩壊してしまうか、未来というもの自体がその瞬間に入れ替わるだろう。ビット以外の誰かが、その翻訳の依頼を受け、ビットの死後まで非公開のまま保管されるている。その予言データの的中率が、常に数値化されていることを、ビット自身は知らない。

こうした文書群の扱いを今後どうするかについて、すでに文書自体が記していた。逆らう術もなかった。火星の未来が古代に管理されていることを、移住者の最高幹部は苦虫を噛み潰したような心地で観察するしかなかった。二億年昔の火星人が恨めしく、また考古学者の発掘も恨めしかった。むしろ、ビットのように何も知らずにいるほうが、幸せではないのか?と彼らは思い知った。


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