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アキレス最後の戦い(VIII)~死者の回想

うっかりすると、また「アキレス」の心を、声音の異なる言葉が巡りはじめる。まるで悪霊に憑りつかれた熱病患者のようだ。

常にこんな感じだ。

*

妄想ゲームといってしまえば、それまでだ。世界は地球ではなかったし、火星とも少し違っている。

そう、ここは目が覚めることのない都市で、わたしたちは死を恐れずに動き回る雄弁な存在なのだ。そんなわたしたちのことを、大人たちは「愚か者の世代」と一括りにする。

「愚か者の世代」たちのメリットを知ろうともしないで、世界を回そうとする大人たちが、わたしたちにはもっと愚かにみえる。

そんなだから、恒星間移動に何千年も必要だなんて、いつまでも落ち込んで手も足も出ないんだ。

わたしたちは「どこからどこまで」なんて、考えるだけ意味がない。徹底的にシミュレートするんだ。それがわたしたち「愚か者の世代」の掲げる妄想ゲーム。

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深い穴が開いている。覗き込んだら何が見える?わたしたちはいろんなものを空想する。妄想とは縁の無さそうな昔気質の人ほど、怖がってしまう。

それがわたしたちの原点。

とある物理学者はこの世界がホログラムだって言っている。半分間違いだけど、半分正解だとわたしたちは思っている。悔しいと思い詰めたら悔しくて堪らない。そんな時は、投影させるプログラムを書き換えれば、楽になる。

プログラムは日々進歩している。言語も洗練されている。それが「愚か者の世代」の内的進化と呼ばれる現象で、やがてはこの仮想世界に独自の複製組織も現われるはずだ。そうなった時、これまでの世界は仮想に置き換えられてしまう。

だから、「世界」=「地球」と言い切ることも、「世界」=「火星」と言い切ることも、わたしたちはためらってしまう。思い描いているものと似ているだけなのだ。「世界」≠に限りなく近いように感じる。

それは昔のSFのように、世界観の恣意的な改変を可能にすることを意味していた。この仮想世界に伴う技術革新では、さらに踏み込んだ操作だってできてしまう。

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そこに火星の軍部が目をつけない訳がなかった。あっという間に火星仮想世界にシールドが張り巡らされて、ネガティブキャンペーンが展開された。その裏で、火星当局はフェイクを基本にするホログラム世界構築を着々と進めた。

「愚か者の世代」は半数以上が、いろんな意味でフェイクに失望して脱落した。さらに残った半数以上が対抗する厳しさに耐えかねて投降した。大人たちはそれ見ろと笑った。

そんなご時世に現れたのが「アドニス」だった。

彼は「愚か者の世代」の旗手だった。まだ19歳になったばかりで、それなりに整った顔立ちと何者も恐れない歯切れのよい発言が、男女を問わず当時のチャット世界を魅了した。敵さえも寝返る勢いだった。「アドニス」はあたしの実の兄だ。

あたしも「アドニス」に憧れた一人だった。身近な存在だったから、なおさら嫉妬ばかりしていた。

あと少しで、兄の推進する全火星規模の第二仮想世界が立ち上がるところまできていた。それなのに、当局は抜かりなくスナイパー「ゴルゴ三兄弟」を送り込み、兄を暗殺した。あと少しだった第二仮想世界はあえなく瓦解していき、「愚か者の世代」は中世的な混乱に見舞われた。

もう、世界は閉ざされたままなんだと、あたしは絶望で塞ぎ込んだ。英雄なんていらない。ただの兄がいるだけで十分だった。老婆のように孤独に打ちひしがれたあたしは、まだ中学に上がったばかりだった。

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でも、あたしは「アドニス」の妹だった。たぶん似ている要素があるのだと思う。あたしは「愚か者の世代」の真っ只中に飛び込み、最初は目立たないながらも、少しづつプログラム言語に息を吹き込みはじめた。

予知能力に気づいたのもその頃からだった。未知の数式が見えることは、新たな戦略プログラムを作るヒントになった。できるだけ目立たないように活動しながら、武器だけは揃えるように心掛けた。

自分の死が見えた時だけは、数日寝込んだけれど。

*

「ペンテシレイア」の遺したメッセージは、ふとした拍子に浮かんでは消えた。窓の外の景色を眺めた時、コーヒーの香りが漂った時、天井を見上げた時など、状況は様々だった。

データ化されない記憶というメモリは、非常に自在に形を変えてゆく。まるで自分の記憶であるかのように、再構築されてゆく。いずれは消化されてしまうのだろう。僕がこの世界に生きている間だけの、ことではあるが。

「亀」の言う通り、この世界に平行に広がるレイヤーに彼女が存在していたとしても、この世界にとって彼女は死者以外の何者でもない。存在しなくなったものを、生者とはいわない。依怙地な「亀」も、現実を受け入れるしかなかった。

「あちらは冥界という世界観が、相応しいのかもしれんのう」とぽつりと、「亀」は自分に言い聞かせるように言った。その姿は、孫の死を悼む祖父以外の何者でもなかった。

僕たちは「ペンテシレイア」を失ったことで、motel滞在予定を一日延ばして、今後の計画の修正と、それ以上に心の休養をとることにした。

(To be continued. )


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