アキレス最後の戦い(IX)~マリネリス峡谷での決戦
赤道直下とはいえ、マリネリス峡谷は朝方になると雪が舞った。本来なら水が溜まりそうな地形だった。だが、ここだけ開発が後回しにされて、いまだに殺伐とした風景が広がっている。
静かな環境だった。まるで無人だった。
気をつけなければならないのは、見せかけだけの静寂にすぎない点だった。
実際にはここは火星当局の情報要塞であり、厳戒態勢のセキュリティが敷かれている。そうした施設が峡谷一帯に点在化しており、その数は数千以上にのぼった。さらに、それらを統括する中央制御を行なう施設があった。そこが僕たちの突入目的地である。
*
「行くぞ」と、「亀」が起動ボタンのスイッチを押した。朝飯はしっかりいただいた。「オーケー」と僕はジムニーのアクセルを思い切り踏んだ。
独自の言語で動くプログラムが、情報要塞のセキュリティを一気に麻痺させてゆくのが、視覚的にわかる。透明シールドの張られていた施設が、あちこちに現れた。
無数のロケット弾があちこちに飛び交った。数キロ離れた地点に着弾したのは想定通りだった。なぜなら、僕たちの位置情報がずれて渓谷一帯に複数点在して認識されるように、電波や可視光線から赤外線にいたるまで操作していたからだ。
だから、敵には無数の「亀」と「アキレス」が見えている。そのため、ロケット弾の数は数千以上ぶち込まれ、敵のモニターには無数の僕たちの逃げ惑う姿が映し出されているはずだ。
弾が飛ぶほど被害が広範囲に及び、敵の施設そのものに被害が及んだ。
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僕たちは中央施設につながる、意図的に整備されていない道を、ひたすらジムニーで飛ばした。
「ひどい道ぢゃ」と「亀」は文句を言った。「退路を断つという意味では、あっぱれなものぢゃが。
「「ペンテシレイア」の影はものともせずに先を走りよるわい」。たとえ、その重力感知の影が僕たちの思い込みだとしても、僕たちにとって先駆的な自信につながった。
中央制御施設はほとんどが無人だった。要人たちが常駐するのに、立地条件が悪すぎたせいだ。その管理のほとんどを、アンドロイドや仮想兵士、ドローン部隊に任せきりだった。そもそも、要職に就く人物が報告されている人数だけ実在しているのかどうかすら、「愚か者の世代」の間では疑問視されていた。
この盲点を僕たちは真正面から突いた。仮想世界の扱い方を間違えると、現実社会の仕組みを疎かにしてしまう、典型的な失敗例だと見抜いていた。
施設敷地内への突破は、あっけないほどスムーズに進んだ。
制御室内には人の気配すらなかった。
だが、これだけの発信制御装置を破壊する方法を、僕は失念していた。ただぶっ壊せばいいとだけしか考えていなかった。そこに立ち並ぶ機材の数は凄まじく、まるで大型スーパーの陳列台を眺めているようだ。
ブレーカーを落とすにしても、配線構造が複雑で把握しきれなかった。ブレーカーのハンドル一つにしても、徹底した暗号管理が施されていた。
すると「亀」が方法を教えてくれた。それはコンセントからプラグを引き抜いていくだけという、とてもシンプルな方法だった。実際に、「亀」は機材の裏に回り込んで、スパスパと、いとも簡単にプラグを抜いていった。
「どうぢゃ、恐れ入ったか?」
「すばらしい」
*
数千もあるプラグをただ引っこ抜いていくだけの作業は、爽快だった。強制的に電源が落ちていく発信装置の鈍い電気音が、断続的に部屋に響いていった。
全部を引っこ抜いてしまうと、あとはマザーコンピュータにウイルスを感染させるだけだった。外部からだとマザーは幾重ものフィルターに阻まれてしまって、感染が届かない。だから、直接接続するしか方法がなかった。
マザーの管理室周辺には、軍部による人的警備が配置されていた。「ゴルゴ三兄弟」に匹敵するスナイパーも常駐しているはずだ。
「やばいな」
「「アキレス」がウイルスを持っていることは、バレバレぢゃ。お前さんは、あいつらのターゲットになっておる。わしなんか登録すらされておらん。気をつけるんぢゃ」
そう言うと、「亀」は僕にハグした。「わしはここまで戦えて、光栄ぢゃ。礼を言う。さあ行こう」
僕たちはマザー目指して走り出した。周囲の景色がざっと動いて、銃弾が目の前をかすめていった。そして目の前で、僕が胸を被弾して倒れていた。「ペンテシレイア」の予言通り、僕は死ぬのだ。
撃たれた僕が「行けえ!」と口走っていた。僕は狙撃されて死にかける僕を、離れて見ていた。「走れ、走れ。決して、後ろを振り向くんぢゃない」
考えてなんていられなかった。走り出すと後ろで僕の被弾する鈍い音が響いた。倒れている僕の言われるままに前だけを見て、僕はマザーにすがりついた。そして、端子にUSBを差し込んだ。
火星世界が一瞬フリーズした。フリーズの中で動いているのは生者だけだった。そして仮想だったものは白く光りだし、文字列も映像も存在しなくなった。
フェイクによる情報麻痺社会は、これで崩壊だ。
僕も死ぬはずだった。
だが、落ち着いて考えると、そこに倒れている僕は、誰なのだろう?
ふと、割れていないガラスに写った僕の姿を見て、すぐに理解した。「亀」と僕とが電子化粧の全身バージョンで入れ替わっていた。ハグした際に「亀」がスイッチを入れたのだろう。
「ようやった・・・」と僕の姿のままの「亀」が言った。それが彼の最期の言葉になった。
*
僕の姿をした「亀」を抱きかかえて中央制御室を出ると、「ペンテシレイア」がいた。「「亀」ジーサンらしい最期だったわ」とぽつりと言った。
僕の姿をした「亀」を、僕たちは見よう見まねで埋葬した。盛り土に木の種子を幾つか蒔いておいた。
「あっちの世界は火星人でいっぱいだった」と彼女は言った。火星人たちも当局が特殊な銃で抹消したつもりだったらしい。この世界から消すことができても、異なるレイヤー世界に移動させただけという認識が火星当局にはなかったのだろう。
生者に戻った「ペンテシレイア」は、しばらくは予知能力は戻らないだろうと言った。そのほうが気分がいいとも言った。
「困ったことがあるんだ」と僕は彼女に言った。。
「まさか、元の姿に戻れなくなってしまったとか、言わないわよね」
「まさにそうなんだ。電子化粧の生体認証が取得できなくて、僕は「亀」の姿のまま元に戻れない」
「完全に欠陥商品ね、これ。「亀」ジーサンもそこまで考えてなかったのね。ひとつだけ可能性があるわ。『火星のソドム』で分岐した若い「亀」と会って試してみるの。向こうのレイヤーにアクセスできればいいけれど。でも、難しそうね」
「出会えなければ、一生僕は「亀」ジーサンの姿のままか」
「そのようね。あたしが一生つき合ってあげてもいいけど、「亀」ジーサンには抱かれたくないな」
僕たちは溜め息をついた。
日が昇って雪の解けたマリネリス峡谷は、サンバイザーでは効き目がないほど眩しかった。もう少し「亀」と寄り添って、太陽の明るさが落ち着いてから、僕たちは『火星のソドム』を目指すことにした。
(「アキレス最後の戦い」the end)
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