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アキレス最後の戦い(VII)~ペンテシレイアの存在証明

「わしが「ペンテシレイア」にハグされた時、あいつだけが知っておるプログラム一式が、すべてわしの意識に流れ込んできた。びっくりしたわい。全部あいつ自作の計算式で構築されておってな、すべてデータ化されていない意識下の戦略プログラムぢゃった」と言ってしまうと、「亀」は彼女の遺品のリュックを背負った。「あれだけの数式記憶情報が生身の脳に定着しておったなんて、尋常ではない」

「僕には彼女の生い立ちの情報が流れ込んできた。特に、彼女の亡くなったお兄さんの映像がたくさん出てきた」

「ああ、彼女の兄さんは立派な戦士ぢゃった。懐かしいのう。お前さんは知らんのか?「アドニス」というハンドル名で、わしらの英雄ぢゃった」

そう言われれると、あの人かと気づいた。「アドニス」という名の青年の活躍と非業の死の伝説は、仮想世界で聞いて知っていた。タクシーの客の間でもよく話に上った。

「仮想世界では先駆的な戦士ぢゃ。これからという時に、真夏の激しい日差しの中で、銃弾に倒れてしもうた。あれ以来、火星仮想世界では暗黒の時代が続いてしもうた。

「おそらく「ペンテシレイア」は必要な情報を、何らかの特殊な方法で、思い残すことのないように伝えてきたのぢゃろう。わしは早速データ化に取り掛からなくちゃならん。運転を頼んだよ」

*

後部座席の「亀」が静音モードでキーボードを打ち続けている。再び走り出してから、もう八時間ぶっ通しで叩いている。「集中したいから話しかけるでない」と釘をさされていたから、放っておいた。

地図で確認していたmotelに着く頃には、「亀」の作業は完了していたようで、USBを引き抜いてぼんやり窓の外を眺めていた。かなり参っているようにみえた。ふと窓の外の何もない景色に、自信なさげに手を振って合図を送っていた。「ペンテシレイア」の消えたことが、意識障害を誘発しているのでは、と僕はひそかに危惧した。

motelの受付はここでもやっぱり旧式で、クレジットカードすら使えなかった。だからこそ、僕たちにとって足がつきにくく、都合が良かった。受付のテレビが火星野球の中継を流していることも、なぜか共通していた。

部屋に入ると、「亀」が急にオフラインのパソコン画面を僕に見せた。見ただけではすぐに理解できない。数列と図式ばかりが並んでいた。

「よく見るのぢゃ。わしは気がどうかしてしまったのかと思うくらい、動転しておる。ようく聞け。この部屋にもう一人ついて来ておる」

僕は背筋が寒くなって見回した。前世紀風の宿泊施設の雰囲気で、とりたてて変わったところは見当たらない。

「その通り、ぱっと見には、部屋にはわしたち二人しかおらん」

*

「亀」は慎重に言葉を続けた。「わしも勘違いだとずっと思っておった。『ずっと』というのは、あのサワロサボテンの場所から出発して、しばらく経ってからということぢゃ。

「繰り返して言うまでもないが、「ペンテシレイア」はわしの見ている前で、「アキレス」とハグしたまま消えてしもうた。前を走る車が霞のように消えるみたいに、彼女もハーレーダビッドソンとセットで世界から消されてしまった。

「ところがぢゃ。わしたちの周囲の重力検出計がずっと異常値を示しておる。時々ブレはしとるが、その余剰の重力量は、以前「ペンテシレイア」と併走していた時と変わりのないものなのぢゃ。

「さらに、この部屋に入った時の値はさっきまでと軽めの重力量で、これはハーレーダビッドソンを省いた重力量と一致しておる」

「つまり、ペンテシレイアが見えないハーレーダビッドソンで併走してきて、ここに到着したあとも僕たちに見えない姿のまま、部屋について来ているというわけか?」と僕は「亀」が名言を避けている点を言葉にしてみた。

「結論だけを言うと、その通りぢゃ」

パソコンのデータは確かに推測を裏付けていた。昨日までの重力量データの動きと、一致している。

「それに「ペンテシレイア」には生まれつき心臓の弁音に若干の癖があってな、特殊な雑音が必ず混じっておる。その心臓の動きから生じる微弱な重力変化を今の透明な存在と比較してみたのぢゃ。それがきれいに一致しておる。つまり、間違いなく彼女はここにいる」

(To be continued. )


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