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ねこのさまよい

僕はミャアと鳴いたつもりだった。でも、われわれの声はどうしても別の声に変換されてしまう。

ダア。

僕の声は、思ってたのと違う。地響きするようなだみ声になる。だから、いつも飼い主たちは苦笑いして、われわれの気に入るような名前をつけてくれない。

そりゃ、可愛けりゃいいってものではないけれど。

ミケとか、すごくいいよね。響きが可愛いよね。地球の猫がとっても羨ましいんだ、ほんとはね。

僕の根っこにある本性は、正直いうと、かまってちゃんなんだよ。

ミャア。

*

どんなにミャアミャア鳴いても、飼い主はおろか、世の中が広すぎて誰にも声が伝わらない。僕は自分自身に愛想を尽かして、旅支度を始めることにした。とうとう痺れを切らしてしまったんだ。

行き先は、火星のなんてことのない街。ネオンが眩しくて、夜行性の目をもつ、われら猫類にはとても厳しい環境。どこもかしこもギンギラギンギン光ってるんだ。

どうして、人々は夜を華々しくしたがるのだろう?せっかく暗い世界を手に入れているのに。こんなに夜空がきれいなのに。

僕はあまりにもツラすぎて、しまいには街角のゴミ箱の脇で、こっそりダアダア泣いていたよ。理想はすこぶる高くて、現実にめっきり弱いんだ、僕。

まったく、われわれはアトサキをまったく考えない動物なんだよ。

古いことわざにもあったよね、「猫に手帳」って。猫のような思いつきで行動することを戒めているって、昔の辞書に書いてあったよ。

ダア。

*

街には夢が溢れているって、みんな言っているけど、本当?

街では僕は野良猫さ。少し棘ある野良猫さ。

大盛りご飯は、もちろんない。ゴミ箱漁って𠮟られて、ネズミを追いかけては汗をかく。でも、悲しいかな、火星のネズミは美味しくない。地球のは美味しいっていうけれど。食べられたもんじゃないけど、食べるしかない。だから、心がどんどんひもじくなってくる。お腹も心も、ぐうぐうぐう。

猫としてどんなに生きてアピールしても、街の生活に溶け込むことはできなかった。夜の街って、想像していた以上に静かだった。暗くないのに静かだった。

静かすぎて怖いくらい。

向こうから近づいては遠ざかる車のヘッドライトは、いつも世界の最後を連想させる。

われわれの世界観と人々の世界観は、かなり違っていて、その差はきっと埋まらない。それほど根本的に違っている。

ビッグバンなんて、われわれからすれば笑ってしまう話。われわれの2億年昔の観測から導き出されたこの宇宙は、走る車みたいなものなんだ。

だから、夜の街に魅せられて夢を見る猫たちも、結構居るみたい。

さすがに僕は心のゆとりがなくて、太古の夢で空腹を満たせなかった。だから、毎日ぐうぐうぐう。

ダア。

*

ミャア、と鳴くのも楽じゃない。生まれついてのこの声は、そんなに簡単に変わらない。

ある日、街の片隅の引っ掻き広告で、僕は鳴き方レッスンの存在を知った。疲れた体を引きずって、引っ掻き地図どおり、街角の街角の街角に行ってみた。すごく裏通りで、すごく昔の匂いのする道だった。

門には看板が一枚、引っ掻き傷だらけになって、こう書いてあった。「『ダア』にさよならしてみませんか?ニャアとかミャアとか」とかなんとか書いてある。レッスン料はヌフアウエ3枚らしい。ちょっと惜しかったけれど、未来のために投資だ。

門をくぐって中に居たのは、伊達メガネをかけて人間の真似をした講師猫だった。かなりのお爺さんだったが、わしは若いと言い張った。僕は彼から連日猛特訓を受けた。ただでさえ僕は飢えて痩せていたのに、もっとスリムになって、それでも発声練習に夢中になった。その甲斐あって、

ミャア。

このひと声が出た瞬間、僕より講師猫のほうが涙を流して喜んでたね。

*

せっかくミャアと鳴けるようになったけど、僕は飼い主のもとには戻らなかった。

ダアに加えてミャアという新しい言葉も話せることで、バイリンガル猫として仕事の幅を広げることに成功したんだ。

街の外れにちょっとした空き地を手に入れて、ミミズの養殖を始めることにした。ネズミに比べたら途方もなく美味しくて、ジューシーで、捕まえやすいんだ。火星のミミズは人間だって食べるほど美味いんだ。おまけに栄養価の高い土も高値で売れる。

会社の名前はミーミーズ。僕は火星ミミズの養殖農場の取締役。引っ掻き傷の名刺には、自らミケと名乗ってみた。

お腹が空いたら大声で呼んでください。ミーミーズの配送スタッフが生きのいいミミズを直送販売いたします。

ミーミーズのミケは今日も元気です。

ダア。

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