マエストロ・スージー
僕たちがマエストロ・スージーに出会ってから、まだ3年しか経っていない。よれよれのTシャツにだぶだぶのチノパン姿で楽員の前に現れた彼を、最初は誰だかわからなかった。
だから、皆は口々にこう注意したんだ。「そこはもうすぐ来る新しいマエストロの立つ場所だから、どいてくれ」って。
「ここに火星という音楽がある」と彼が口をひらいた瞬間、皆の視線が凍りついた。一瞬、何が起こったのかすらわからなかった。
スージーの声には拡声器の割れた音のような響きと、甘い蜜のような味が混ざっていた。どこにマイクが潜ませてあるのだろうと疑う楽員もいたくらいだ。アメリカから来たと本人は言っていたが、どこにもアメリカ訛りのないイングリッシュだった。
彼は自己紹介というものを一切しなかった。逆に、僕たちの前から姿を消す際にも別れという場がなかった。実は、彼が本当にスージーかどうかすら、正直あまり自信がない。
マエストロ・スージーらしい生き方だった。
*
誰もスージーの家の所在を知らないまま終わった。いつかわかるだろうと伸ばし伸ばしにしているうちに、知る機会を失してしまった。
ピアノを持つだけの金銭的余裕はなさそうだった。練習中断時によくお腹を鳴らしていたので、食費にも困っているのだろうと皆が噂した。
まるで旅の途中に指揮の仕事をもらったかのようだ。
スージーは火星初演という言葉をとても嫌った。だから、配信データに刻まれている「火星プレミアムレコーディング」というのは、あくまで彼の死後にクレジットされた言葉だった。
指揮棒は使わないタイプで、指先が微妙に揺れる振り方をした。地図を俯瞰するように音楽をまとめていく、火星では珍しい指揮スタイルだ。
「俺たちは地理学者と同じなんだ。決して酔っ払いになるな、酔っ払いの歌は威勢こそ良いがバラバラだ。今いる場所を必ず地図で確認するんだ」
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彼の独特なイングリッシュや風采に、最初は、個性や癖の強さを苦々しく指摘する声もあった。しかし、それも一週間と続かなかった。皆がスージーの牽引力の虜になった。
どうしてこの指揮者が地球で頭角を現さなかったのだろう?皆が不思議がった。それが「地球でのくだらない上司のご機嫌」が原因だとわかったのは、彼の没後の記事を読んだ時だ。
火星の音楽熱がひとつの最高潮に達するまで、ほとんど時間がかからなかった。どこで演奏しても何を演奏しても、観客は満席だった。彼はそんな世間の風潮を気にしていなかった。本当に世間の評価というものを知らない、もしくは理解できていないのだと巷で噂された。
僕たち楽員もその通りだと思う。
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ある日、スージーは熱に浮かされたように、僕たちにこう言った。
「この音楽は駄作だと残念がられることが多い。だから演奏会ではあまり取り上げられない。
「でも、どんな音楽にも土地があって、地図がある。退場させたり破り捨てたりしていい楽譜は、どこにもない。気に入らないからといって、自分の視界から消したがる方法は、ただの自己中心的な我儘でしかない。
「100パーセントの音楽なんて、どこにもないということを知ることが一番大切だ。だから、僕たちはしっかりと地図を握りしめていこう」
まさか、これがスージーの辞世の句になるとは、僕たちは予想もしていなかった。しばらくして、彼が指揮台で突然倒れた。病院に運び込まれる前に、もう心臓が止まっていた。
*
僕たちはマエストロ・スージーの一部のまま、壊死するのを待ちたくない。
僕たちの存在は、ほんの数パーセントしかないパーツを寄せ集めて、世界を築き上げていく。だから、居なくなったスージーをしっかり刻み込んで、突き進んでいくことが僕たちの使命だ。
だから、スージー泣かないで。
僕たちは歩み続けていくから。
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