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ハグの記憶
「火星人たちがレバニラ炒めを美味しそうに食べていたよ、ママ」と背後で娘が羨ましそうに言った。ぼうっとしていた私は、居間でデバイスの画面をぼんやり見つめていた。
「カセイジン?」
「ピクニックに来たんだって。公園のベンチで」
「ふうん」どんよりした天気で気分まで落ち込んでいた私は、娘の話を上の空で聞いていた。「今日は曇っているから残念ね」
「私もそう言ったんだよ。でもね、あんまり晴れると、しんどいって言ってた。だって、ぬめぬめしてなきゃ、干からびちゃうから」
*
娘の小学校が昨日から一か月ほど休校になった。火星全体に奇妙な警戒態勢が敷かれたからだ。「火星のレイヤーが干渉し合って」とかラジオでは言っていたけれど、私には理解できなかった。近所のみんなも「なんだろうね」と首を傾げていた。
「ドッヂボールしようって言うから、火星人のおチビちゃんとめちゃくちゃ暴れて、こんなに汗かいちゃった。手足がいっぱいあるから、ずるいんだよ」振り向くと、本当に娘は汗だくだった。
「タオル、タオル」と私は探した。でも、うまく見つけられなかった。娘が自分で見つけてきた。
「今晩は新チグリス川の岸辺でテントを張って、キャンプファイヤーするんだって」
「いいわね。私たちもたまには出掛けなきゃ」でも、出不精な私には、とても無理だ。家族旅行なんて一度も行ったことがない。
*
「おチビちゃんたち、こんな歌を教えてくれたの」と娘は長調とも短調とも区別のつかない、音の跳躍の頻繁な歌をうたいだした。
「ウミウシの歌」
どこまで行っても、海が広がる、だったらいいねと、どこまでも
古いおうちも、古い町も、古い心も、しみわたる海
遊園地なんて要らないよ、うんとこどっこい星柄の服着て
らんららんらん、広がるサンゴの森に、どこまでも泳ごうヌメヌメと
「おもしろい歌ね」私はこの歌を知っていた。どこで聞いたんだろう?
「踊りもあるんだよ。教えてくれたんだけど、手足の数が違うから、私にはうまく踊れないの」と不完全ながら、もう一度歌いながら踊ってくれた。
私はその踊りも知っていた。踊ることだってできた。
ああ、思い出した。
*
ずっと、ずっと忘れていたのに。
つらかった記憶と楽しかった思い出が、一気に蘇った。
私は小さい頃から、親の無口な背中しか知らなかった。知らんぷりする親の冷たさが結構こたえたし、そんな親に気ばかり遣っていた。
その当時、私が出会ったのが、火星人の子どもたちのいる一家だった。今と同じ厳戒態勢の一ヶ月程度の間の出来事だった。彼らは放牧生活を営んでいた。とても気さくで、いつ会ってもいろんな話を投げあえた。チャイを好きな火星人のお母さんにハグされた時は、考えて口にする言葉なんて要らなかった。
そうだ。
きっと今の私に思い出させてくれているに違いない。火星人ってそういう、さりげないところがあるんだ。
すっかり忘れていたことを、きっと彼らはどこかでやきもきして見ていたのだろう。そしてやっと訪れたこの時期に、彼らは現れたのだ。
私は「ごめんね」と声に出して、娘の体をぎゅっとハグした。私が彼女をハグするのは初めてだった。その温もりがとても懐かしかった。
あの頃の火星人のお母さんに、私は少しでも近づいただろうか?
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