怪獣はかく眠りし(改訂版)
🌀 特撮・日和 ひとりごち
特撮ドラマを子供向け番組だという表現が「正しいのか」それとも「正しくないか」…。
正否のどちらにせよ異論を唱える方はいらっしゃると思います。
わたしは、作品によって異なるのではと考えます。それは特撮ドラマ自体に多様性があるからだと思うのです。
経済成長が著しかった昭和の時代、「漫画を読むと馬鹿になる」、「子供番組は子供が観る(くだらない)もの」、「ドリフは低俗だ、こんなもの子供には見せたくない」、などなど、当時の大人たちから 耳にタコができるほど聞かされたものでした。
このように偏った意見に対し、さもそれが正論かのような中傷とも取れるレッテルを貼り、それに準じ、一様に判じてしまうことは、やはり無理があると思うのです。
わたしは『ウルトラマン』が好きです。
『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』から色んなことを学びました。
一例を挙げますと、『ウルトラマンA』の最終回「明日のエースは君だ!」です。
個人的に、ウルトラシリーズにおいて、数多ある名台詞のなか、屈指と言えるものだと思います。
『ウルトラマンA』の最終回から約半世紀、Aの残した言葉は『ウルトラマンメビウス』の第44話「エースの願い」で、一般的に広く知れることとなります。
やさしさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、互いに助け合い、
どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、その気持ちが、
何百回裏切られようと。
それがわたしの最後の願いだ。
ウルトラマンA
この言葉の捉え方はさまざまです。
多くの有識者、ファンの間で、それぞれの考察が為されています。
(皆さん考察大好きですから、斯く言うわたしも考察大好きです 笑)
わたしはこう思うのです。
我々にとって大事なものは、この言葉が刺し示す意味、或いはその意図を知ることではなく、Aが残したこの言葉をどう受け止めるか…なのだと。
受け取るのは勿論、視聴者。
受け取り方は人それぞれ。
Aが残したこの言葉は、確かにわたしの心に刺さり、いまもまだ息づいています。
そしてもうひとつ。
それは、庵野秀明監督による映像化で話題になった『シン・ウルトラマン』において、その造形美に再びの脚光を浴びた彫刻家・成田亨さんが残された言葉です。
成田さんは、ウルトラマンの顔を造形する際、「人の顔」から余分なものを徹底的にそぎ落とす作業を繰り返したそうです。
その作業の際、成田さんは以下の方針を立ていました。
・広隆寺の弥勒菩薩像にも通じるアルカイックスマイルをヒントにした口元。
・能面のように単純化された様式でありながら、見る角度や陰影によって様々な表情を表す。
・宇宙ロケットから着想を得た銀色の肌。
・火星の模様からの発想による全身のライン。
デザインコンセプトを元に何枚かのスケッチを描いたのち平面画によるデザインを諦め、『ウルトラQ』で怪獣造形を担当した、武蔵野美大の後輩である造形家佐々木明とともに、粘土原型による直接の形出しに切り替えたたそうです。
その後、試行錯誤が繰り返され、漸く「ウルトラマン」が形作られました。
わたしが初めてこの言葉を知ったとき、その意図の深さに、涙が溢れ出てしまうそうになるほど、心が熱くなったことを憶えています。
米津玄師さんの楽曲「M八七」。
映画『シン・ウルトラマン』の主題歌として書き下ろされたこの曲を初めて聴いた時、得体の知れない感情が溢れ出したのです。
確かにそこに、わたしの知る「ウルトラマン」がいました。
同時に、わたしの知らない「ウルトラマン」がウルトラマンとして、そこに佇み足下にその影を落としていました。
そして、その口元は微かに笑っているように思えたのです。
微かに笑え あの星のように
痛みを知る ただひとりであれ
その時、
確かにわたしは泣いていました。
涙腺から一筋の涙が頬へと伝わり、それを拭うことなく、ゆっくりと上を見上げながら目蓋を閉じたこと…。
それが、わたしにできた精一杯の敬意の表れでした。この時の出来事は、憧れへのひとつの思い出であり、大事な宝物です。
いまでは、誰憚ることなく、当前のように特撮やアニメを観ています。しかし、ふと我に返ったとき、これらの思い出が過るのでした。
そして、ここからが今回の本題です。
長かったぁ(笑)
『ウルトラマンブレーザー』第5話「山が吠える」です。
アンリ隊員の故郷、秋田県・市之字村・霧野山で、防衛隊の新型レールガン「メガショット」の演習が行われSKaRDも協力のため参加します。
しかし、地元に伝わる護り神「山怪獣ドルゴ」様が目覚めてしまいます。
寝覚めの悪いドルゴ様、出撃したアースガロンさんを撃退、水をがぶ飲みして…2度寝に入ります(笑)
アンリ隊員は再会を果たした幼馴染のミズホから、演習の為の設置工事で祠の御神体が撤去されてしまったことを知らされており、御神体を祠へと戻し、護り神として再び眠りにつかせるための作戦が開始されます。
で、なんやかんや ありまして(笑)
(「なんやかんやは、なんやかんやです!」『33分探偵』より 鞍馬六郎の決め台詞 笑)
アンリ隊員は無事、御神体を祠跡へと戻すことに成功(ブレーザーさんアースガロンさんの協力は言うまでもありません)、山怪獣ドルゴ様は永い眠りについたのでした💤
今回の『ウルトラマンブレーザー』、怪獣だからと安易に倒すのではなく、土地の護り神として再び眠りにつかせることが選択されています。
それは一概に一括りにすることを良しとしないこと。このあたりがの『ウルトラマンブレーザー』の面白いところなのかも知れませんね。
『ウルトラマンコスモス』や、どこぞの翼くんのように「〇〇は友達だよ」的な展開にされてしまうと あまりの一方的な寄り添い方に面食らってしまい、「うーむ」と眉を顰めてしまいそうですが、そのような不安要素もなく、「納めるべき処に納める」という基本的な術を為し遂げることで、怪獣を倒さず「事もなし」となりました。
日本神道に於ける「全てのものに 神なる魂は宿る」という「八百万の神」的思考は、「どんなものでも、あることは必然であり、それを粗末に扱ってはいけない」という戒めなのだと、その昔に読んだ本に書かれていました。
このお話を観て「はて?」と疑問に思ったり…「なぜ?」と頭を捻り考えてみたり…。
自身の範疇を超えた、知りたいという渇望を持つことは、いつか必ず何処かへと繋がりと思うのです。
そして、それはきっと、また新しい何かへ、来るべき次の未来へと繋げてくれるのだろう…などと思った次第です。
そして…。
わたしが、いまここにあるのは間違いなく、大好きな特撮やアニメを観てきたからこそなのだと実感してしまうのでした。
来週の『ウルトラマンブレーザー』は総集編です。早いね(笑)
最後まで読んで下さり、
ありがとうございました。
今回、この文章を完成させるために、
『成田 亨 Wikipedia』より 一部を引用させていだだきました。感謝。
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