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〈創作短編〉問わず語り

《本篇》

プロローグ


耳から離れないあの日の悲しい旋律。
音楽に酔いしれ溺れ、炎の中に消えた彼はもう帰らない。

音は凶器だ、声は毒だ。
人間最大の娯楽が私から何もかも奪った。
でも、私を生み出したのもまた、それだった。

彼がいなくなった部屋にはまだ煙の香りがする。
半分焼けた私の体はこれからどうされるのだろうか。
先なんて考えてもどうにもならない。
私の意思など彼が消えた時点で消失したのだから。

遠くから人間の話し声と大きな車の音が近づいてくる。彼と過ごしたこの地と私は引き離される運命なのだ。

だから私は最後に語ろうと思う。
聞き手もいない天才作曲家Nと最愛のピアノの物語を。

第一章


彼との出会いは予期なく訪れた。
枯れてしまったこの地で幽霊が出ると恐れられた建物。遠い昔、貰い手がおらず朽ちた1人の老婆が首を吊り死んだという噂からだった。

中にあったのは寝台や机、棚など最低限生活のできる道具と中心に置かれた1台のグランドピアノ。怖いもの知らずでまだ幼かった彼はここに迷い込んできたのだ。

彼は私にたくさんの話を聞かせてくれた。家での日常から村で起こった奇妙な事件。そして彼が音楽を愛していること。

調律がすっかり狂ってしまった私の前に座り1つ1つの鍵盤を愛おしそうに撫でながら音は奏でず、生み出したメロディーを私に歌って聞かせる。

ある日彼はこういった
「僕が音楽を始める時は、君と一緒なんだ」と。

それから暫く彼が顔を出すことはなくなり凍えるような冬を迎え春に生命の宿りを感じ何度目かも分からない夏が巡って彼の顔が薄れかかった秋、背が伸び青年へと成長した彼が見知らぬ中年男性を連れ再びやってきた。

その男性は私の体を開け、繰り返し鍵盤を叩いて至る所をほじくり回しなんとも言えぬ真剣な顔でそれを繰り返した。彼はその間黙って私のことを見つめていた。手にはいくらかの札が強く握られその目もまた真剣だった。

日が沈む頃、男性の作業は終わり彼は頭を下げ金を手渡した。
すると男性はこちらを見向きもせず部屋から出ていった。
彼は私の体をほじくり回した人のことを暫く来ない間に出来た師匠と言った。調律師を志し、修業に励んでいたのだと。

だがそれは嘘で本当は自分の手で私のことを整えるためだったが待ちきれず師匠をここに呼んだのだ。照れくさそうに語った彼の言葉は色褪せず記憶に残っている。

彼はいつものように私の前に座り鍵盤を優しく撫でた。つやを取り戻した私の体は彼の手に触れられるのに少しふさわしくなったと感じた。

そして大きな深呼吸をして今度は私の体を楽器にしたのだ。
いつぶりだったのだろう、人が私を奏でるのは。
力ずよく叩かれる鍵盤が心地いいと感じた。
自分の体から発せられる美しい旋律に酔いしれた。

演奏が終わると彼は私に言った
「これからは2人で音楽をしよう」と。

第二章


私が一番好きな時間は彼が私をほじくり回している時だった。
あれからまた修行を積み成長した彼はその術をしっかりと身につけていた。

彼の真剣な表情が広い空間の中に迷子になった正しい音を見つけた時のみふわっと緩み、私に小さく笑顔を見せる。たまに滴り落ちる彼の汗でさえも愛おしく感じた。

時が経つにつれ部屋には彼の私物が増えて行った。ここにはまだ住まないが時が来たらそれも考えるつもりだと語った彼は希望に溢れ輝いていた。

彼が生み出す作品はは分かりやすく彼の心情が映し出されていた。
だからこの時期の曲は音が楽譜の上で踊っているように軽やかで、
聞いているだけで気持ちが明るくなった。

村の小さな教会で子供たちによく弾いて聞かせていると言い笑った彼と一緒に私は笑えなかった。それは見知らぬピアノが彼に叩かれていると思うと嫉妬心が膨れ上がってしまったからだ。
そんな私の気も知らず、彼は楽しそうに話を続けた。あまりに嬉しそうな表情にさっき心に湧いた黒い感情は気づけば消え去っていた。

歌うことも好きだった彼は希に歌詞も書いた。
だがそれらは表に出さず私にだけ歌って聞かせた。
彼が書く詩はまた真っ直ぐだった。
その頃私にとっての声は心を癒す薬。

いつか手に入れたいと思ったものでもあった。
歯車が狂い始めたのは思い返せばここからのような気がした。
いつもより上機嫌で部屋に帰ってきた彼が掲げた一枚の紙。
そこには作曲新人賞と書かれていた。

「もっとたくさんの人に僕たちの音楽を知って欲しい。
 君もいいチャンスだと思わないかい?」

光に満ち溢れた彼にどうして私が反対の意見を持てただろう。
それから人間を喜ばせるための音楽作りは始まった。

第三章


幸せは長く続かない。

そんなことは当たり前であって誰もが理解していることだった。でも、この時の私たちはそれの本当の意味を分かっていなかった。

毎日彼は音楽を生み出した。歌って弾いて、時には、楽譜の上で。
どんな音楽の表情も豊かで私はたくさんの音色を奏でた。

作品を生み出すことが楽しいのはコンクールを目指し始めても変わらなかった。それは彼も同じで悩み苦しむと言うよりはいっそう目の輝きが増していた気がした。

そんな彼がまた、ここに来なくなったのはコンクールの結果発表があったはずの日曜日。私は彼が笑顔で帰ってくるのを何日も何日も待ち続けた。
結果が良くなかったからもう音楽を辞めてしまったのか、
また1人になってしまうのか、
数多の物思いにふけり長い期間をすごした。

私には曜日感覚といったものがない。
人が音を奏でなければ自分の意思では動けないただのオブジェ。
彼がいないこの部屋で窓から差し込む光以外は時の流れを伝えてくれるものは無かった。

また人に捨てられてしまったと諦めかけていた時トランクケースを引きずる音が近づいてくるのを感じた。
__もしかしたら、彼かもしれない。
淡い期待が胸にやどったが押し殺し、何食わぬ顔でドアが開くのを待った。裏切られた気持ちになるのは辛いが、初めから何も思わなければ何ともない。だが胸の高鳴りは収まらなかった。部屋の中に現れたのは期待通り彼だった。いつになく小綺麗な格好をし、とびきりの笑顔で言った。

「僕たちの音楽がたくさんの人々に認めて貰えたんだ」

その後は2人で泣いた。ただ嬉しみを分かち合うためだけの時間。
思い返せばこの日が1番幸せだったのかもしれない。

第四章


ここで暮らすようになった彼は日が増す毎に音楽に熱中した。
寝る間も惜しみ机に向かっては歌って、鍵盤を叩く。
作品と共に出来上がる目元のくま。
楽しそうだった彼はいつしか死んだ目をして私を見つめるようになっていた。

曲が完成すると電話をかけ、楽譜を持ってそそくさと出かけていった。
帰ってくると弱々しく私に語り掛けた。

「よく一緒に頑張ってくれた。きっと世に認められる素晴らしい作品が出来上がっただろう。」

そしてすっと表情を消し、寝台に倒れこむ。丸1日目を覚まさない日など珍しくなかった。

そんな彼を見てもし自分が人間だったならと考え始めるようになった。
汚れていく部屋、空っぽになっていく食料庫。
凍えながら作業を進める彼の小さな背中。
もし、手と足が自由に使える身だったのならばもっと傍で支えることも出来たかもしれない。少し暖かい毛布を掛けてやることだけで十分だった。
だがそんなことは叶わない。

大体人間だったのならば生活を共にしていないだろう。
ありもしない空想を膨らませるなんて自分も少し変わったと微笑を浮かべながら思った。

この頃生み出された彼の曲たちは重く壮大で、低く暗かった。
私は音楽で彼の心情をなぞった。彼は今辛いのだ。

いつまた彼の無邪気な笑顔が見れるのだろう。
そんな日が2度と来ないことをこの時の私はまだ分かっていなかったし
きっと彼も同じだった。

彼の機嫌が1番いいのは朝だ。だから私は朝が好きだった。
長い眠りから覚めるとまず顔を、そのまま髪も洗う。
そして大きな伸びをして言うのだ。
「おはよう、実にいい朝だね。」と。
それは昼に起きても夜に起きても関係なかった。
彼が目覚めた時が朝、1日の始まりだから。

彼はたまに理由もなく私の前に座り、出会った頃と同じように歌を歌いながら鍵盤を撫でた。時には思い出話をするようにもなった。でも、作った曲の話はしても演奏はしない。

いつしか彼にとって音楽は仕事になってしまった。
そして同時に私は彼にとっての心の友ではなく道具になった。

第五章


彼の睡眠時間は目に見えて短くなっていき、
いつのまにか口からおはようを聞くことも無くなっていた。

目を覚ますとむっくりと起き上がり顔も洗わず
なにかに取りつかれたように楽譜にペンを走らせた。
そして決まってそれらを丸め、投げ捨てた。
時には私の体に向かって。

まだこんな日はマシな方だ。
叫びながら飛び起きて狂ったように鍵盤を叩く日もあった。
そして呼吸を落ち着かせると机に座りペンを走らせる。
並べられた音符は世に出ることなくまた捨てられた。

「何を作っても在り来りだ。僕の音楽は死んだのか。」

彼からかけていた電話は、いつしか鬼のように鳴り響くアラームになっていた。せっかく眠りについてもその音で飛び起き、
向こうの声を聞いては
すまない、もうすぐ描き上がるから待ってくれと謝る日々。
私はもう見てられなかった。逃げ出したかった。
だが私に傍観以外の権利はない。

そして彼の糸はプツンと切れた。
ある日、電話の音にも気づかないほど深い眠りについた。
あまりに彼の顔が安らかで死んでしまったのかと本気で思った。
ろくに食事も取らず、睡眠もまともに取っていない。
そう考えるのも無理はなかった。

だが、まる2日たって彼は目を覚ました。
そしていつぶりか私に向かって微笑み、
「おはよう、実にいい朝だ」と言った。
時間が巻き戻ったのだ。そう私は思った。

次の瞬間部屋中に不快な音が鳴り響く。
彼はそれを無視して私の前に座り、いつになく穏やかで優しい曲を歌った。そして深呼吸をして声に出したままを演奏した。
心地良かった。久しぶりに幸せを感じた。

曲が終わると彼は言った。
「これは僕たちの音楽。そう、2人の音楽。」
立ち上がり向かった先は予想通り机だった。
いつになく丁寧に音符を描いていった。
彼らは楽譜の上で踊り、楽しそうに見えた。
それから電話をかけるのかと思ったが、違った。

「久しぶりに外を散歩してくるよ。いってきます」

そう言い残して、楽譜を持って出かけて行った。
前のように待つことが苦ではなかった。

久しぶりにおかえりを言う権利が与えられたから。

最終章


「見て見ぬふりはこの世で1番卑怯な事だ。」
彼は言っていた。でもそれは私が1番得意とするものだった。

この建物の中で過ごしてきて、弱っていく人間を何人も見てきた。
ここに人が立ち入らなくなった噂、首を釣った老婆がいた話はまぎれもない真実である。

彼女がこの建物に住み始めた時にはもう老いていてピアノなど弾けるような元気もなかった。彼女もまたひとり語りが好きで1日中私に話しかけた。

「大切なものと亡くなる人生の最後ほど幸せなものは無いよ」

彼女が言い残したことをたまに思い出すことがあった。
実際あと残り少ない人生を自らたった理由は
最愛の夫がいない世界で生きている自分が嫌だったから。
正直その時はよくわからなかったが、私も今、彼が居なくなった後の命など無意味に思えていた。

彼が帰ってきた。おかえり。私は心の中で言った。

弱々しい笑顔を私に向けその日のことを語り始めた。
久しぶりに村へ出て、子供たちに歌って聞かせた。
さっきの曲の楽譜はそこに預け帰ってきたと。

次の瞬間立ち上がると、彼は地獄のアラームを壊した。
そして、また彼は眠りについた。安らかな顔だった。

彼の生い立ちについて私は聞いたことがない。
だから彼について語ることが出来るのは私と出会ってから別れるまで。
淡々と私たちの物語は終わりへと進んでいる。

真夜中、彼の目は覚めた。
そしてゆっくりと立ち上がり向かった先は外。
私は心配になった。今度こそ次がない気がして。

でも彼はすぐ戻ってきた。
手に持った大きなポリタンクを見て私は悟った。

老婆が残したあの言葉が脳に響く。

狂ったように中身を撒き散らした彼は、
ジッポライターに火をつけ、それを投げた。

部屋の中に充満する嫌な匂いと熱。そして彼は私に微笑みかけた。

「おやすみ、実に良い夜だ」

そう言って彼は私の目の前に腰掛けた。
煙を大きく吸い込んで鍵盤を叩き始めた。

炎の中で奏でられるレクイエム。
彼が即興で生み出すそれはいつになく悲しい旋律だった。
楽譜も音源もない2人だけの最後の曲。
彼と私をあの世に導くためだけの音楽。
美しく炎の中に消えるはずだった。1番幸せな散り方で。

だが今私の体は半分生きている。彼の体には跡形もない。

エピローグ


耳から離れないあの日の悲しい旋律。
音楽に酔いしれ溺れ、炎の中に消えた彼はもう帰らない。

音は凶器だ、声は毒だ。
人間最大の娯楽が私から何もかも奪った。
でも、私を生み出したのもまた、それだった。

彼がいなくなった部屋にはまだ煙の香りがする。
半分焼けた私の体はこれからどうされるのだろうか。
先なんて考えてもどうにもならない。
私の意思など彼が消えた時点で消失したのだから。

遠くから聞こえていた話し声はすぐ隣までやってきて大きな車の音はいつの間にかおとなしくなっていた。いよいよ恐れていた時間がやってきたようだ。

聞き手もいない天才作曲家Nと最愛のピアノの物語。
私が最初で最後に語った物語。
最後の言葉を言い終えた私は永遠の眠りにつけることを願い、
ゆっくりと目を閉じた。

《後書き》


最後まで読んで頂いてありがとうございました。
この作品は3.4か月前に書くだけ書いて出す場所を失っていた朗読台本…になるはずだった何かです笑
まだ拙い文でも今の私が書ける精一杯を残しておきたいな、と思って投稿することにしました。
幸せ、愛、死。言葉では存在していても説明しきれないものってたくさんあって人生の中で自分なりの答えを見つけていくんだなって壁にぶつかる度に思います。もやもやしたものを「あぁ、これ、そういうこと。うわぁ」って思わせるものを描くのが芸術だと私は思うのでいつか胸張れるような描き手になりたいですね。
この作品を通して誰か人1人にでも残るものがありますように。

2022.03.31
音葉 心寧

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