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不眠症を考える2

かれこれ2年ほど不眠だ。
精神疾患になって18年、ほぼ寝てばかりだったので、寝られない=動けると、あまり悩んでもいなかった。

それでも2年も寝れないと、めまいや、場合によっては(表現しているより実際は頻繁に)錯乱したりする。
錯乱しているときの記憶は曖昧だが、家族の困惑と疲労感は僕でも分かった。

不眠を起因にして精神科に入院したのだが、よくよく寝れない理由を自身に問いかけると、「寝ることに罪悪感を感じている」に辿り着いた。

寝てばかりの時は「また寝てしまった」といつも思っていた。
「寝てしまった、寝てしまった、寝て・・・・」と思っているうちに、いつしか本当に寝れなくなったあともその気持ちだけが残った夜中に2~3時間しか寝ていないのだから、日中に1時間寝ても誰も咎めないはずだ。
にもかかわらず何もしない数時間、ときに数分すき間を作ると、自分を責めてしまうようになっていた。

少し寝た方がいいと言われても「寝てしまった」と思うのだ

それでも最近は多少寝られるようになった(スマートウォッチのログを見ると質はよくない)
それができるようになったのは「疲れたら横になる」を徹底したからだ。
仕事をしていると(特に在宅だと)もう少し進めようと、疲れていても無理をしてしまう。
そう思わずにとにかく横になる。出来れば目をつぶる。
そしてウトウトでもできたら「いままで寝れなかったのに寝られた」と自分を褒める。
ここでも自己肯定感だ。
そのうち寝るのは悪じゃないと思えるようになる(時間はかかるが)

すると「寝ることに慣れてくる」
眠い→寝る
が、スムーズに移行できるようになる。
こうなれたらしめたものだ。
夜中の睡眠がうまく行かなくてもとりあえず「睡眠時間」は確保できる

もちろん、10時に寝て、6時に起きるのが理想だ。
けれどいきなりフルマラソンを走れないのと同じで、まずは5キロ10キロから始めよう。寝る癖をつけるのだ

寝つきが悪い。または寝つきは良いが早朝に目が覚めてしまう。という問題はある。
その場合も「寝れない」とイライラしたり、「また起きてしまった」と悔やんだりしてはいけない。
寝れないなら寝れない。起きてしまったら起きてしまったと、気にしないのが一番だ。
気にすると余計に寝られないし、自分を責めてしまう。

寝れないなら「読書をする時間ができた」
起きてしまったら「ゆっくり珈琲でも淹れてみよう」と
「切り替える」ことで睡眠の質と生活の質が上がる。

寝れないのは精神的に辛いのはもちろん、場合によっては身体の症状として出てしまう。
そうならないためにも、疲れたら横になる。できれば目をつむる。5分でも鳴られた自分を褒める。
いきなりフルマラソンは出来ないし、完走できない事もある。
その時も5キロ走れた、10キロ走れたと自分を褒めてあげてほしい。

そろそろ眠たくなったのでこの辺で・・・


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