伝えるなら今かな
なんだか余裕やゆとりがもてない。理由はわかってる。嘘つきたくなくて本当のことを言った。返信がこなくて何を考えているか推測するしかなく、ただ待つだけの時間がとても長かった。心ここにあらず、何も手につかないとはまさにこういう状態のことをさすんだろう。今も昔も人間って変わらないな。
朝家を出る時から覚悟を決めていた。今日はどんなことがあっても行くし、もし会えなかったとしても後悔しない。胃腸炎になって渡せなかったプレゼントをでっかい黒のリュックにそっと入れて仕事に出かけた。
早めに仕事を切り上げて駅に向かう。風呂に入って着替えてから向かうのがいつもだが、今日は違う。電車の中だって重苦しい雰囲気に感じるし、お迎えだって来てくれるわけがないから到着時刻も伝えない。
「今仕事終わった。」
「今日は直で来たからいつもより早く着くよ。家の前にいるね。何か買ってく?」
「何も用意できてないから夕飯かな。」
「わかった。鍋の具材買って帰るね。」
いざ姿を目の前すると言葉が出て来ない。名前だけ呼んだあとは、うつむいて階段を上った。いつものようにカギとドアを開けてくれるけど、いつもとはちがう。
正座して座る。謝る。言葉は何もない。
「正直に言って。」
「もう付き合ってられないかなって。」
「そうだよね。うん。」
「でもわたしは付き合っていたいと思う。」
表情が歪むのを見ていられなくなって顔をそむける。
「作るね。」
立ち上がって大根を切る。泣きながら料理したことなんてない。嗚咽と涙が止まらない。食べてる途中も、お風呂の中でも、布団の中でも。ここに来ることはもう無いんだなと思ったら、目の前のものひとつひとつを焼き付けておかなきゃいけない気がした。ごめんね。ありがとう。よろしくね。だけど一番大切で大好きなものは見るのも辛くてなかなか見れなかった。寝顔だけは眺められたけど、いつも通りの綺麗な鼻のラインだった。相変わらず真っすぐだね。そのままでいてね。
帰る準備をする。使ったものをひとつひとつオレンジの袋に詰めて、黒いリュックに入れる。玄関のホワイトボードを消して真っ白にする。迷ったけど今の気持ちを書いておくことにした。
本当にごめんなさい。振り幅が大きくて頭が追い付かないけど、もらったのは幸せな気持ちの方が大きいからわたしは大丈夫。またどこかで会えるといいな。
一緒に朝ご飯を食べる。コートを羽織りながら
「じゃあ帰るね。」
と立ち上がり目が合う。すぐにそらして玄関に向かう。わたしの名前を呼ぶ声を聴きながら靴を履く。立ち上がって振り返り手を握る。
「ありがとね。」
抱き寄せられたらさ。また涙が出るし嗚咽も止まらない。
「昨日あんなこと言っちゃったけど、いざ会うと迷ってる。」
「本当にごめんなさい。もう絶対しないから許して。わたしはまだ別れたくない。」
痺れる手が痛すぎる。
「落ち着くまで中入ろ。」
座る。手を握ってくれている。少し落ち着いてきたからもう大丈夫。ほっとしたのか眠れなかったからなのかあくびが止まらない。
「眠そう。お昼寝しな。」
布団を敷いてくれたから6時間くらい眠った。昼寝の域を超えている。窓の外を見ると雨が降っていた。お気に入りのカフェに行きたいのになあ。
「COBACHI行く?雨だから空いてるかなって。」
「うん。」
なんで何も言ってないのにわかるのか。でも何回か行ってるし、まあわかるかなんて思いながら広げてくれた傘を眺めてた。道は彼の方が覚えてる。わたしはいつもついていくだけだったんだな。
「また一緒に行けると思ってなかった。」
「1人で来る?」
「やだ。一緒じゃなきゃつまんない。」
大好きなチャイを飲みながらポイントがたまったカードでシフォンケーキを食べる。わたしは胃腸炎が治りきってない。
「先食べなよ。」
「いや、いいよ。」
なんてやりとりをしながら、いつも先に食べさせてくれてたことに気づく。わたしが大好きなものに囲まれて幸せだったけど、仕事帰りで来ちゃったから汚い靴とほぼほぼすっぴんの顔が場違いに思えた。けど別にいいや。隣にいてくれる安心感は大きい。
「夕飯、何買うんだっけ?」
「ぶり大根だよ。」
「あ、そうだ。」
「鯵のなめろうも作る?」
「うん。」
家に帰ってバレンタインに渡せなかったチョコと、二月十四日に絞られた日本酒を渡す。夕飯は久々に味がした。あんまり量は食べられないけどそれでも美味しい。
「美味しいね。」
「ありがとう。」
腹痛でうずくまってたらお布団を敷いてくれた。洗い物はやってくれているみたい。布団の中でうつらうつらしながら、その音を聴いた。あったかい。眠れそう。幸せ。
一通りの家事を終えたようで寝る準備を始めている。
「あのさ、話しておきたいことある。わたし年に2,3回眠れなくなる時期がある。でも大したことないし、放っておいてくれればいいから。」
「うん。」
「こんなんだけどいいの?」
「あなたはあなたでしょ?」
「うん。」
「眠れない時なんて誰にでもあるか。」
「うん。」
「眠れない時あるの?」
「あるよ。」
「そういう時どうしてる?」
「いっぱいお酒飲む!」
「そっか!」
目を見なくても笑っているのがわかる。落ち着いたトーンで淡々と話すこの声も、いつもあたたかく包み込んでくれる腕も、誰よりも気にかけてくれるけどわたしが負担を感じないようにさりげなく側にいてくれるやさしさも全部好き。忙しいのにご飯作って待っててくれて迎えに来てくれるし、帰る時だって必ず送ってくれてわたしが家に着く頃に連絡をくれるし、ご飯屋さんで食べたいメニューが絞りきれない時は「俺がそれにするよ」って言ってくれて、スマブラしたい時は付き合ってくれて、日本酒飲みながら「お疲れ様。」「美味しいね。」言い合えて、生理痛がどうしようもない朝に「薬買ってくる!」って家飛び出して鎮痛剤にご飯まで買ってすぐに帰って来てくれる人って他にいるかな。いや、いるわけないよね。こんな人は珍しくて貴重で尊くて、冗談抜きで世界で1番美しいと思う。
大好きな気持ちは変わってない。伝えるなら今かな。
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