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備忘のための短編メモ② 「弱点」

とんだ厄介ごとに巻き込まれたもんだと胸の内でぶつぶつ思いながら、口の中が布きれを詰められたことで水気を奪われて干からびていく感触が嫌だなと思っていたところだった。

「これからあんたの口に詰めたもんをとる。だけど、あんたは叫んじゃいけない。静かに文句を言ってもいけない。穏やかな質問をしたって俺は怒る。許されるのは俺の聞かれたことに答えるだけだ」

笑いを噛み殺すような抑制的なかすれ声が耳に囁いてきた。この圧倒的な優位にさぞかし悦に入ってるんだろうと思ったが、目隠しをされているので相手の顔は見えない。

悶えてもがくように頷いて返事をすると、口がようやく解放された。

「あんたウチの社長を嗅ぎ回ってるだろう。たかが便利屋風情が探偵気取って、エラい下手をこいたな。社長はかんかんだよ」

「別に嗅ぎ回ってないさ。疑問を検証していっただけだ」

……と、人間離れした重厚な拳で、頬を酷く殴られた。「質問だけに答えろよ。痛めつけられるだけ損だろ」と抑揚のないかすれ声が俺にささやく。

「X産業の訴訟の件で、ウチのボスを嗅ぎ回っていた。そうだな」

「ああ」と、短く答えると脅迫者は意外そうな様子を見せた。「あっさりと口を割るんだな。あんたは口が堅い便利屋だっていう噂だったからな。右耳がないのがその証なんだろ」

俺が答えないままでいると、今度は顎を下から激しく突き上げられた。首のスジが切れそうになった。頭の先まで熱い刺激が駆け巡った。「訊ねられたことに答えないのもよくない。わかったな」

「わかった」と答えると、満足そうに脅迫者は尋問を再開した。

「あんたに2つ伝えておきたいことがある。1つ、社長を探るのは金輪際止めること。1つ、今日のことを絶対に誰にも言ってはならない。わかったな」

「わかった。といえば、納得するのか」

我ながら挑戦的な言い草だったと思う。窮地に立たされて震え上がってもおかしくないはずの人間が、挑戦的な口調が気に障ったようだ。今度は右と左に間髪入れずに連続した平手が飛んできた。たちまち腫れあがる頬がズキズキと熱い。

「ふん。確かにな。ご忠告ありがとう。俺だって餓鬼の使いじゃない。ちゃと保障のある仕事をするから”プロ”っていうんだろ。なあ。あんたみたいな便利屋だってそう思うだろ」

「ああ」

「嬉しいよ。わかってもらえるかな。こういう場合、徹底的に痛めつけた証明としてクライアントに指の一本でも持っていくんだが……」

手袋をはめた無骨な手つきが、俺の人差し指の節を根元から先まで撫で回した。俺はなにも言わなかった。「しかし、だ」と脅迫者は言う。

「あんた右の耳を取られても口を割らなかった今時珍しい古風なプロだ。だから、指を持って帰ってもクライアントは納得しない。だから……」

間が空いた。嫌な予感がした。

「あの鳥をもらっていこう。たいそう可愛がってるんだってな。毎朝のエサは手作りで、羽毛の汚れと乱れもきちんと点検して、病気や怪我の気配を見逃さないほどに。調べはついてんだ」

「頼む……それだけはやめてくれ。俺のかわいい”ピース”を連れていくのだけは止めてくれ……」

文鳥のピースは、俺の唯一の肉親と呼んでもいいほどの存在だ。泣きそうになりながら「それだけはやめてくれ」と懇願した。脅迫者は満足したようだ。

「そんな泣きそうな声を出すなよ。俺はプロとしてあんたをリスペクトしそうになりかけてたんだぜ。大丈夫、裁判が終わるまであんたが大人しくしていれば、俺の気が向いたら・・・・・・・ちゃんと鳥は返してやるよ」

「やめてくれ!!」

……今度は硬い骨が激突する衝撃がこめかみを突き抜けた。肘でやられたのかと感じた途端に俺は昏倒した。

「S企画のうさんくさい社長を捕まえられたよ。あんたの身を張った情報提供のお陰だ。警察は感謝しているよ。お宅のクライアントも喜んでんじゃないのか。まあ、便利屋風情に国家権力が良いように使われた感じは否めないでもないがな」

馴染みの刑事が酒と煙草と寝不足でがらがらになった声で、機嫌よく俺をからかうように言う。俺はそれどころじゃない。刑事が押収した文鳥のピースを点検するので頭がいっぱいなのだ。

爪は傷ついていないか……くちばしは欠けてないか……羽根が折れてないか……ストレスで変になっていないか……

「しかし、文鳥の足に付いたタグで脅迫者を割り出すなんて上手いことやったもんだ。その情報がなければ、あの小ずるい野郎は尻尾を出さなかったと思うな」

「ふざけるな。俺がそんな酷いことをすると思うか」

「え」と、刑事は目を丸くした。

「指だろうが、舌だろうが、鼻だろうが、死ななかったらどうにでもなる。だが、まさかアイツが俺を痛めつけるんじゃなくてよりにもよってピースを連れ去るなんて……俺はいいんだ……痛めつけられても絶対に負けない。でも、ピースを連れていくのだけは……それだけは……」

おいおいまさか泣くのかい、とでも言いたげな心配そうな面持ちで刑事はうつむいた俺の顔をのぞき込んだ。だが、俺が涙を落とすわけがなかった。

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