或る男の晩酌【大衆居酒屋編】

 モツ煮が、食べたい。
 とある日の昼下がり、報告書を作成中の私は、何故かこの思いに取り憑かれた。
 脂フワフワ、噛んだらシャキシャキのホルモンに煮汁が絡んだやつを一味唐辛子を振って食べたい。脂は強くても取り除いてもいい。そしてそれをハイボールで流し込む。
 『いいね』
 いかん、心の声がキーボードに乗ってしまった。
 『現時点での進捗は以上となります。いいね』
 何だこりゃ。

 定時で上がれたその日の夕方、私は自宅の最寄りから二つ手前の駅で下りた。ホームから眼下に広がる繁華街の人混みに、少し心が踊る。
 普段、人が多い場所は避ける性質だが、楽しく飲むなら周囲が賑やかな方がいい。外で飲むと決めた日は、私にとってハレの日だ。既に目当てが決まっているなら、尚更楽しい。次点が、どこに行こうか考えながらの街歩きだ。
 ポーカーフェイスの内に笑顔を浮かべながら目的の店に向かう。候補の店は三軒ほどあるが、いずれも店舗間は歩いて一分もかからない。席が空いていれば入る、混んでいたら次の店。まぁどこかには入れるだろう。夕暮れの迫る、どこか楽しげな人々の間をすり抜けていく感じも、繁華街らしくていい。ご機嫌な道中、数分も歩けば目的地だ。

 比較的大規模な居酒屋に空きがあったので迷わず飛び込む。ここはこの地に昔からある、由緒正しき大衆居酒屋だ。といっても、どうやら都内にある店のチェーンだかフランチャイズだか、という話だが、私は本店がどこにあるのかを知らない。
 カウンターに腰掛けると、すぐに店員が注文を聞いてくる。このレスポンスの早さがいかにも、な感じだ。
 「瓶ビールと、ハツとタンの串を塩でください」
 メニューを見ることなく、注文を済ませる。忙しい店員さんを待たせる訳にはいかない。それでなくてもあちこちから店員を呼ぶ声が上がっている。
 独り占め、カッコ悪い。
 カウンターもテーブルも、7割から8割は埋まっている。午後6時を回ったばかりだというのに、この賑わいだ。みんなどんだけお酒とこの店が好きなんだか。あちこちから聞こえる会話や食事の音が、ここでは心地良いBGMになるから不思議なものだ。一人飲みの醍醐味でもある。

 ほどなくして、瓶ビールとグラスが目の前に並べられた。私は瓶を持ち、グラスに半分ほどのビールを勢い良く注ぐ。泡で一杯になったグラスを見つめ、半分ほどに泡が落ち着いたらグラスを傾け、今度は縁にそっと流し込むように注ぐ。泡が盛り上がったグラスビールの完成だ。目の高さにグラスを掲げる。
 「いただきます」
 グラスに口をつけ、半分ほどを喉に流し込む。美味い。ほろ苦さと炭酸の刺激、冷えた喉越しが合わさると、何故ここまで快感なのか。飲み始めた若い頃、苦さに閉口した自分には想像もつかないだろう。年輪を重ねるほどに、酒は違う顔を見せる。

 瓶ビールを半分ほど飲んだ頃、タンとハツの塩串焼きが運ばれてきた。私は追加オーダーをすると、迷うことなくタン串を手に取り、かぶりつく。美味しい。
 焼いたタンのサクサクした歯触りと、ジューシーな肉汁が食欲を刺激する。一味唐辛子を少し振ったタンと、ビールの相性が悪い訳がない。一本の串にグラス一杯のビール…、では少し足りない。まったく、ここの串焼きは美味しくて困る。
 ちなみにこの店の串焼きは全て豚の肉とモツを使用している。味付けも塩、タレ、スタミナと称するニンニクタレから選べるのが嬉しい。その日の気分でチョイスできる選択の自由に乾杯。

 さて、アホな考えはおいといて、ハツ串も一口。こちらはシャキシャキの食感と弾力が魅力だ。何せ生命を司る臓器、心臓だ。その強靭さと柔軟さを兼ね備えるだけのことはある。
 ウマーイウマーイと、思考停止状態で食べ進め、飲み進めていけば、当然目の前の皿とグラスは空になる。そこに間髪入れず、店員がお酒と料理を持ってきた。焼酎ハイボールと、本日の目玉料理、モツ煮の登場だ。

焼酎ハイボール。琥珀色の焼酎を炭酸で割っただけのシンプルな飲み物だ。ただし、その味は奥深く、探究すればするほど深みにはまり、帰って来れなくなる。
 …と、それっぽいモノローグを付けてみたが、何のことはない、不思議な甘みと飲みやすさで杯を重ねれば酔いつぶれる、程度のことである。
 このハイボール、以前は焼酎の原液と氷が入ったグラスと瓶の炭酸水が並び、お客が自由に割って飲むことができた。剛の者になると、半分しか炭酸を使わず、「ボール、ナカ」、つまり原液のみをお代わりし、残りの炭酸と合わせる、なんて離れ業をする人もいた。
 残念ながら現在、この店では既に出来上がりの状態で運ばれるのだが、これは無駄を省く時代の流れなのか、剛の者がやらかしまくってしまったのかは、一人の客の立場では分からない。酒飲みのロマンなら後者を推したいが、「明日は我が身」という言葉が頭をよぎったので、口に出すのは憚った。
 コンマ数秒でそんな能書きを考えながら一口。うん、どこがどう美味しいのか分からないが美味い。
 いや、ふざけている訳ではない。美味しさをうまく表現しづらいのだ。何せ、味付けや香料に何が使われているかすら、ハッキリしないのだから。まぁ、そんなミステリアスな飲み物があってもいいじゃないか。

 さぁ、そしてモツ煮だ。こちらは小ぶりのどんぶりに煮汁がたっぷり入り、そこにモツがこれでもか、と盛られている。今日はこれが食べたくてここに来たようなものだ。卓上調味料から一味唐辛子を取り、数回軽く振ったら、レンゲでモツと刻みネギ、煮汁を掬って口へ運ぶ。
 熱い。柔らかい。ネギのシャキシャキ。フワフワの脂。程よい塩味。これらをしっかりと噛み締め、飲み込む。
 「これだよこれ」
 声は出さずに口を動かす。

 これが食べたかったんだ。

 これ以上の言葉はいらない。人間、心の底から食べたかったものを一口含んだときの感想に、これ以外の言葉があるだろうか。

 何やら頭の中が随分と大仰になってきたので、熱くなった喉をハイボールで冷やす。冗談のような話だが、この店では熱々のモツ煮とハイボールは、このようにして味わうものである。異論は、認める。

 食べ進めていくと、煮汁とモツのあいだから豆腐が顔を覗かせる。丸っと半丁はある熱々のそれをレンゲで崩し、口に運ぶ。ハフハフしながら柔らかい豆腐を味わい、飲み下す。火傷しそうなほどの熱さが喉を通っていく感覚が、逆説的な快感だ。もちろん、ハイボールで追いかける。美味い。

 そこから先はもう食い、飲むのみだ。一味のきいたモツと豆腐、煮汁をレンゲでひたすら口に運び、冷えたハイボールと交互に喉に放り込む。決して洗練された料理とは言えないが、それでいい。いや、それだからいい。
 ちなみにこのモツ煮は熱いうちに食べ切るのが作法だ。冷めてしまうと脂が浮いてきて食べづらくなるからだ。
 気付くとモツも豆腐もどんぶりから消え、一味の沈んだ煮汁が一口分残っている。私はどんぶりを手に取って最後の一口を直接飲み、氷が溶けて少し薄くなったハイボールをゆっくりと、喉に染み込ませるように飲み込む。最後の一口で心に浮かぶ小さな寂しさは、何と表現すればいいのだろう。
 「ごちそうさまでした」

 熱いモツ煮と軽い酔いで火照る顔に、外の風が心地よい。今夜も良き晩酌だった。
 お腹と酔いの具合から、あと一杯、あと一品はいけたと思うが、今はそれくらいでお開きにする方が丁度いい。頼みたかったメニューは、次に来たときのお楽しみだ。
 無表情の仮面に隠した幸せ一杯の気分を抱えて、駅へ向かう。次はどこへ行こうか、そんなことを考えながら歩くのが、今夜の〆にふさわしい。

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