実は後天性です

 どーも、乙楽です。
 最近公私共にバタついているせいか、noteがなかなか更新できていません。裏ではいくつか書いているのですが、投稿にはまだ練りが足りない状態なので熟成中です。どちらもレビュー物なので、もう少しお待ちください。
 今回はここ最近乙楽が言われて、ハッキリさせようかとなっていることについて書きます。

 おかげさまで、このnoteや、時折Xのポストでも「言語化が上手い」とお褒めの言葉をいただくことがちらほらあります。これにはフォロワーの方々、そして読者の方々に感謝しかありません。
 その時にちょくちょく聞かれるのが「昔から言語化が上手かったのか?」ということです。これについては断言できます。

 まぁ、昔っちゃあ昔からと言えますが、適性は全くありませんでした。
 それどころか、私は幼少時からある時期までは、作文というものが全く書けませんでしたし、意思疎通すら怪しい子どもでした。

 作文については、もちろん授業や宿題で書かされましたが、箇条書きの方がまだまし、というレベルで壊滅的でした。何故かというと、その時の気持ちや考えが先行し、思いつくままに書くことしかできなかったからです。
 最近、懐かしくも恥ずかしいものが発掘されましたので、ちょっと実例を書いてみましょう。

 ぼくは、ゾウさんがすきです。どうぶつえんに行きました。キリンさんはなぜくびがながいんだろう?アライグマならあらえるかもしれない。トンボがとんでてきれいだな。(ばっさり省略略)ぼくはゾウさんがかわいそうだと思いました。
(ほぼ原文ママ。トンボのくだりはフィクションです)

 気持ち悪い文章で、本っ当に恐縮です…。
 端折った上に一部改変してネタ入れしていますが、驚くことにこれ、私が小学校1年生のときに書いた絵本『かわいそうなぞう』についての読書感想文第一稿です。途中から訳のわからない方向になっているのは、どうやら上野動物園に行ったときの思い出や、見たままのことを思いつくままに書いていた模様です。
 恐ろしいことに、私は支離滅裂な「これ」を自信作として、夏休みの宿題で堂々と提出しようとしていました。ちょっとしたホラーですね。
 結果的に、文章のおぞましさに気付いた両親の介入と担任教師の尽力により、この呪物は当時住んでいた自治体の作文コンクールで優秀賞を獲得するというとんでもないミラクルを起こしたのですが、それはまた別の機会にお話します。

 また、小学校低学年までの私は喋るのも上の文章みたいな感じだったそうで、私の癖を知らない人とは意思疎通すらままならなかったそうです。状況次第では発達障害、下手をすれば脳機能障害すら疑われてもおかしくないほど、自発意思の発露が壊滅的でした。
 ただし、聞き手が交通整理をしてあげればちゃんと話せたし、意思疎通ができたらしいので、諸々の障害を疑われることは無かったようです。

 家族ですら時にもて余すほどの壊滅的なアウトプット能力という、「変」では済まされない乙楽くんです。当然ながら教室では浮きまくりました。良くて爪弾きでしたし、小学校3年生のときはひどいイジメに遭った模様です。断言できないのは、今でもこの1年の記憶は殆どないからでもあります。別に無くても困らないので放置していますが、多分無意識に封印しているのでしょう。
 そして数少ない思い出の一つが、担任教師からのこの言葉です。

 「いじめられるのはお前が悪い」

 最初、聞き間違えたと思いました。後年、その場に居合わせた当時のクラスメイト数人の証言があったので、聞き間違いでないことはほぼ確かです。
 お前「も」ではありません。原因は明確に私だ、と言われたのです。この言葉は、今でも記憶にこびりついて離れません。自分では普通に人と接しているはずなのに、何故そんなことを言われなければならないのか、当時の私には理解できませんでした。本気で、世の中が全て敵になった、とすら思いました。

 自分のおかしさに気付いたのは、この言葉の割とすぐ後だったと記憶しています。きっかけは家族で撮ったホームビデオです。そこに映っている自分の発言は、明らかに意味が分かりませんでした。両親が何度か聞き直して、ようやく言いたいことが分かるという事を、このとき初めて自覚しました。
 「自分は、家族やクラスメイト、テレビで見る人のような喋り方をしていない」
 この気付きは衝撃でしたし、同時に猛烈に恥ずかしかったことを覚えています。

 そこからは必死でした。ニュースのアナウンスやドラマのセリフを物真似し、国語の教科書に書かれた文章を音読しまくり、その文章のように喋ることを心がける。この訓練を1年ほど繰り返したことで、かつての支離滅裂さは少しずつ影を潜め、意思を伝える力は格段に上がりました。このあたりから私と普通に話せるようになったと、後年開かれた同窓会で聞いたので、多分記憶違いではないでしょう。
 そして付随するように、文章の書き方を覚えたのです。
 つまり、現在の私が持つ文章力と言語化の能力は、完全に必要に迫られ、追い込まれた結果の後付けだったということです。
 また、私が時折口にしたりポストしたりする
「意思と言葉は相手に伝わらなければ意味が無い」
のルーツは、ここまでお読みくだされば理解していただけるかな、と思います。

 なお、壊滅的だった喋り方ですが、実は今も若干ながら名残りがあります。
 スペースで私の喋りを聞いた方はお気付きかもしれませんが、私は気に入った言い回しや大事なことをアホほど繰り返したり、同じ内容の一連の話を何度もしたりするなど、「くどい」時がちょくちょくあります。これは「伝えたいことは繰り返せば何とか届く」という、子ども時代の思い込みが刷り込まれた結果、未だに修正できていない悪癖の一つです。
 ついでに言えば、自分が書く文章が純文学に近い、ということをつい最近まで意識できなかったことも、この特訓の弊害だったのかもしれません。言ってみれば純文学を噛まずに丸呑みするような訓練ですから、良し悪しなど分かる訳がありません。

 ともあれ、私はこのような経緯で、人並みの生活が送れるレベルのコミュニケーション能力を身に付けたわけです。
 この一連の話をすると、とかく美談や「努力の証」のように持ち上げられることが多いのですが、本人はその実感はありません。むしろ、これがあったから今こうして生きていられるという、人生でも比較的切実な分岐点なので、「普通になれた」という感覚しかない、というのが正直なところです。

 今回は長々と書いてしまいました。もうちょっと上手くまとめられれば良かったのですが、お読みくださり感謝します。
 

 

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