みんな人に対してもシステムに対しても、100点の理想から減点評価している

頭の整理をしていきます。



最近少し高い買い物をする為にある会社に見積書を作ってもらっていたのだが、見積書が言っていた日になっても出てこない。10日くらいしてからこちらから聞いたら、すぐにもらえた。

またメールのやり取りに関しても、一応ビジネスメールになるはずなのに句読点が無かったり。

いい加減な会社だ、信用できない、そう言ってしまっても全然良いと思うのだけれど、今回ちょっと特殊な買い物なので、その業界の人から例えば「そんなもんだよ笑」と言われれば納得できそうな自分もいる。


人に対しても物事に対しても往々にして、僕たちは完璧な状態からの減点方式で見てしまっていると思う。

子供なら、朝は自分から起きて、学校から帰ってからも宿題をすぐに済ませ、お手伝いは自分から率先し、好き嫌いはせず何でも食べ、自分の時間は外で遊んだり読書に励んで、友達もたくさんいて、運動もできる。

大人であれば、寝坊や遅刻をしない事は当然、炊事洗濯・家事をちゃんと自分でやれて、部屋は整理されており、仕事でも上司からも部下からも頼りにされ、頭がよく回り、常に向上心に溢れ前向きに仕事に取り組み、プレゼン資料も完璧に作れ、ビジネスマナーも正しく理解し、身だしなみも整えられていて清潔感に溢れ、姿勢も発声も美しく、複数の健康的な趣味を持っており、休日は友人と充実した時間を過ごしたり自己研鑽に時間を費やす。

システムであれば、バグや不具合なんて無くて当たり前、メールのやり取りは迅速で誤字脱字も当然無くて当たり前、ショップであれば商品の発送等も全て迅速に行われて当たり前、問い合わせに対しても早急に対応して当たり前、オペレーションの人間も感じが良くて当たり前。


ここで逆に、子供が宿題をどれだけ言ってもやらない。アイツはメールの返信をしょっちゅう忘れる。ネットで買い物をしたけれど、在庫有りって書いてあって注文したのに取り寄せって言われた。

そうすると実に簡単に、問題児、社会不適合者、評価の悪い店となっていく。ほかが問題なくっても。


しかし日本中、子供も大人も社会全体も、全てが上記のようであって当然と言うスタンスで僕たちは生活してしまっている気がしてならない。

外食をすれば店員が何だか頼りない、愛想が良くない、お釣りを間違えた。そりゃどれも無くて当たり前がイイってのは分かるけれど、でも常に100点から1点でも減点を確認して気を悪くしてしまうのは、どうなんだろうか。そしてそういう場合、悪いところ探しを積極的にやっているとも言える。

ある喫茶店で、提供された品物にお客さんが注文した商品が来ていなかった事があった。お客さんはブチギレ(店員さんは何度も確認して、お客さんも返事していたけど)。
百歩譲ってこちらの不手際だったとしても、綺麗な席で迎え、しっかりと接客し、キチンと作られた食事とドリンクを提供している。「スープが来ていない」に対してとんでもなく怒っていたのだけれど、それは果たして正しい受け取り方なのだろうか。


また日本人で良くあるのが、外国へ行ったら電車が来なくても当たり前だからって普通に待ってる。仕事相手が外人だったら、仕事の仕方を合わせる。それこそレストランでも、店員同士お喋りしていても何とも思っていない。外国らしいとか言う。

そんな、場所や相手が変わるだけで変わってしまうような価値観は、全く重要ではないと思う。本当に重要なことっていうのは全世界どこへ行っても共通で、例えば人を傷つけてはいけないとか、物を盗んではいけないとか。


話を戻して、今僕がやり取りをしているケース。見積書がこっちから言うまで出てこない。文章も何だか拙い。そりゃ不安といえば不安だが、その不安はどこから来ているのかというと先に書いた、100点満点からの差分だ。場合によっては当然他の所にお願いをすると言う選択もあって全然良いと思う。


みんな完璧からの差分ばかりを見て、出来ている事、やってくれている事の方を積み上げて見れる人は驚く程少ない。なんでなんだろう。今回の僕のケースも、良くしてもらっている所もめちゃくちゃ沢山ある。
なのに、そう言った不安の種を見つけてしまうとそちらをどんどん膨らませてしまって、良かった所は気がつけば消し飛んでしまっている。それはそれでおかしい事だと思う。



ようは、自分が何を大切にしているか。結局はそこに帰結してくるように思う。そういう点では自分はまだまだブレている。
完結しきらない、脈絡のない文章だったが、少し自分の考えが整理出来てきた気がする。

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