途切れた糸と縄にできなかった糸

蚕の繭から糸を紡ぎ出す、工程を見ていると3つの糸を紡いで一本の糸にしていく。糸を紡いで縄をつくり、丈夫にしていく。そう考えると自分の中での糸って、縄にも行ってないよなぁ。簡単にぷっつり切れる。今の自分はそう。単純な作業でも、糸が切れれば上手く捌けないし、心身共について行かない。昔なら、縄でもなく、鎖だったろうに。

しかしこの縄って、用途を見てみると結構面白い。船で使ったり、服の必要な場所につかったり。で、縄から糸をつかって、衣類とか。

糸じゃなくて、鉄線だと本当に鎖になるし、ウインチをつかった重機を釣り上げたり本当に用途は様々。みんな同じように、糸を縄にして、鎖にして、心の強さを切れないように上手くやっている。

今は糸で表現しているけど、これを感情であらわすと、今の自分の状態がよく分かる。糸から縄にしたいのに、その縄を加工して鎖や様々なことに対応できる強じんな心を作りたい。出来ないから鬱になるし、それができるから、皆普通の生活を送れるんだろうね。

さっき面白い記事を読んだ。企業から自主退職させる研修があると。黒い部分はいくらやっても白くすることは絶対に出来ないと。そりゃそうだ。今の企業、特に営業は「物を売っての営業」売れなければ営業じゃない。買う気の無い人間から買わせるのだから。そこで登場するのが、「ロープレ」。顧客相手に言葉を選んで、買わせるように持っていく話法。単純な言葉を延々と覚えて、自然な会話になるように練習する。文章を考えるのも、実際にそうやって売ってきた人間が作成する。

「落語やバンドと同じやね」自分はそう思った。口伝や書物で師匠の真似をして、自分の芸として精進する。話し方、演じ方、音楽なら演奏。基本の入り口は皆同じ形を変えて相手を変えてやることには代わりはない。実際、今やっている自分の音楽でさえ、誰かが辿った道で有ることは間違いない。だから自分がオリジナルでは無い。

営業時代、本当にロープレをやる必要性があるのか?疑問視したことがある。この本を読め、飛び込みするなら、こうしろ、お前の力では商品を買ってくれない。

この時点で、「あー、肩叩かれているな」と感じる。記述したように、自主退職させる為に個人を追い込む。駄目な人間とレッテルを貼る。そりゃそうだ、毎年、百を超える人間を新規、中途採用しているのだから。読んだ記事には同僚どうしで殴り合い、立ち残った人間がその会社に居られる。自分が鬱になった会社でも、同僚の殴り合いだったな。言葉が悪いが実力主義。勝ち残った者が上っていく。最後は格闘技。

競争社会…、勝ち組。既に世捨て人なおいらには「なにが?」と傍から見ることができるが、居た当時は何時銃口を突きつけられるか、隠れている壁は安全か、すごくアンテナを張り巡らせてたな。今じゃ、辛くなったら無理をせず、薬を飲んで横になって。まあ、一つ糸から縄になったのが、今のバイトは一日も休んでいない。シフト通りと、追加要求も出ている。これは競争社会でもなんでもなく、自分と向き合えるからだろうね。本当に気持ち的に楽。でも、昔読んだ本で、100円のコーラを1,000円で売る、この気持は常に持ち続けている。だから仕事には妥協はしてない。時間がかかってもサービス業だから常に付加価値をつけて邁進している。

そりゃ100円のコーラを缶のまま持っていけば1,000円では売れない。だから、どうするか。ここで書いちゃうと答えになるけど、この記事をよく読めばすぐに分かる。

後6日後…。かと思っていたけど、日にちが違っていた。正確には8日後。

はたして、100日のワニと同じになるか、否か。逆に今では堕ちた感情を楽しんでいるもう一人の自分が居ることに気がついた。そりゃ、宣告されてからnoteに毎日記事上げているからね。最初は義務感か?と思っていたけど、気がつけばPCの前に座っている自分がいる。書くこと書くこと、毎回考えているわけでもないのに、タイピングが止まらない。思いつきでもよく、ここまで記載できているもんだ。

誰かの目に止まってくれればそれでいい。ただ、自分の心境を吐露したいだけ。それで自分の気持が楽になるなら。

明日は採用試験か。とりあえず頑張ってみよう。

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