残りの少ない蝋燭。

古典落語の「死神」、昔は好きじゃなかった。西で産まれて、幼い頃から再放送のアニメ、土日に流している演芸の番組。幼稚園は年長しか行ってない。家計が苦しかったのが原因だと親は言っていたけど、それだけじゃなかった気がする。記憶が正しければ喘息まではいかなくても咳が酷かったからなような気がする。だから、物心がついた頃にはテレビが世界を、世間を教えてくれたようなものだと思っている。奥様は魔女や、トムとジェリー、ポパイ、洋物の番組も内容は今でも覚えている。そんな中、土日に関しては演芸系の番組を見る機会が多かった気がする。親父が好きで隣で見ていた記憶がある。その中で落語の死神は今でも覚えている。真打ちじゃない二枚目ぐらいの若手がやっていたと思う。当時はそんな真打ちや二枚目、看板持ちとか分かるはずがない。でも親父が「やっぱり二枚目の腕やな」とボヤいていたから「死神は二枚目がやるもの」とインプットされていた。

鬱になって「落語心中」のアニメでボロ泣きした。声優繋がりが好きな自分はアニメ自体に興味があるものしか見ない。しかし、「この声優が出てる」となると必ずチェックを入れて見るようにしている。鬱でTVが見れるようになった時も何も考えず、タイトルだけでアニメを録画して見る。エンドロールに声優の一覧が出て「あ、この人」みたいに後追いのケースもある。この落語心中を見て死神のイメージは一新された。これは有名すぎて、どう演じるか、楽写をどう見せるか、「時そば」と同じようなもの。「時うどん」もそういや、親父曰く二枚目がやっていたな。

映像もすごいが、それを声だけで表現する声優さんもすごい。石田彰さんがやった死神は本当に引き込まれた。今まで怖くも何も感じなかった。ただ、蝋燭の火を継ぎ足すのに震える手の表現。「ほぅら、消えるよ…」この声、「そ、そんな事言ったって…」使い分けのタイミング。消えた後の倒れる吐息まで演じる。そんな落語あるのかと。

音楽もそうだったけど、お笑いも好きだった。みんなが必死こいて課題曲覚えるために部室で吹奏楽の曲ながして譜読みしている時でさえ、自分はウォークマンで落語を肩肘ついて曲を聞くふりして袖からイヤホンを出して落語を聞いていた。「時そば」「猫の茶碗」「死神」「じゅげむ」etc…。

屋号もその時に覚えた、上方や江戸噺はこっちにきてからか。だから笑点は好きだったね。漫才、漫談、演説、コント、落語。そんな中でオイラの中ではナポレオンズが神様です(笑)。

…8日後…何か本当にカウントダウンみたいだ。

今日は久々にGtを触った。病院に行った以来、Gtに触るのが正直怖かった。29日には面接や実技試験もあるにも関わらず。せっかくGT-1も購入したのにね。でも理由は簡単。思った音が出せる自身がない。どんなエフェクターをセットしても、どんなGtをつかっても、自分に出せる音が想像つかない。コードのC、かき鳴らしても違う、散々コピーしたBoφwyも気持ちよく曲が通らない。今組んでいるバンドの曲も何かが違う。GT-1にしたからか?いや、そういう訳ではなさそうだ。

昔、時間が無い頃はどんなに忙しくてもCコードを一発鳴らして、今日は調子がいい、あ、音がくぐもっているな、とか判断できたのに、あの日以来判断がつかなくなっている自分がいる。PCやGtを叩き壊そうかぐらいの感情だからか?

正直心情は安定していない。理性を保てているのが不思議なぐらい。後、それにすごく他人事のように自分を置き換えている。だから冷静な自分と制御の聞かない自分が背中合わせでいられるのかな。しかし、流石に、スーパーでの幼児の金切り声は耐えられない。後は笑い声。これらだけはどうしても耐えるより、イライラが先行してしまう。うちの子供がYou Tube見て笑っているのにも耐えられないのが殆ど。

話はそれてしまったが、Gtは結局1時間ぐらいぶっとうしで弾いていたな。曲がロクに弾けてないので、GT-1で最近デモで作った歪み系の音で延々とA→Dm→E7をハーフミュートしながらエイトビートを延々と繰り返していた。自分がリズムマシンになったように。

「あ、余分な弦を弾いた」「右手のアップが引っかかっている」「アクセントはつけてリズムは崩れないように」自問自答しながら延々と繰り返し、繰り返し余分なブルースリズムは入れずに…。少しは迷いが取れればいいのだけれども。

GT-1、リズムマシンがついてないのか。こりゃG3nは売れないかな。今考えているのが、GT-1にZoomのマルチストンプで最低限の足場にしようかと考えているのだけでいるのだけども、兎にも角にも、結果次第かな。

今日は一日休める事ができたので、逆に書くことはなかったけど、こうしてPCを前にすれば書くことは勝手に出てくるものだな。

オイラが昔読んだ小学校の昔話で因幡の白兎の話があって、ワニの上を跳ねて島に行く描写があったけど、そもそもワニなんてその時代に日本に居るはずもないのに、不思議だとおもったけど、方言でサメのことワニと呼ぶ事があるんだね。家の親、その因幡の白兎の舞台になった海岸の近くの出身だけどずっとサメがと言っていたな。当時の書物ではワニとなっているのかね?

全く、思い出したらキリが無いことばかりだな。


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