退職後に進んだ道は未経験の一次産業「林業」だった。そこで見つけた“自分が大切にしたいこと”
大人の島留学・島体験に参加したみなさんの記録をお届けする
「わたし、島で働く」
今回は2022年7月に島体験生として海士町に来島した
園田 祐樹さん
のストーリーをお届けします。
島での生活が“試せる”絶好の機会
2022年5月頃、園田さんは会社を退職し、今後についてどの方向に進むべきか悩んでいました。
そんな時、海士町を特集したテレビ放送をみた園田さんの友人が、島体験について教えてくれたそう。
早速、6月に実施された島体験の説明会に参加し、1週間というスピードで来島することを決めました。学生とは違って時間的なリミットもなく、園田さんにとって島体験への参加はしやすかったようです。
島体験に参加するにあたって、「〇〇に挑戦したい!」というような強い思いがあったわけではありませんでしたが、主に2つの理由がありました。
・島暮らし(=田舎暮らし)を体験したかった。
・次の仕事のヒントを得て、方向性を決めたかった。
ショッピングや映画館に行くような都会的な生活より、山や海のある自然に囲まれた生活や田舎特有の濃い、人とのつながりに触れられる生活が自分に合っているのではないかという思いが以前からあり、島暮らしや田舎暮らしに興味を持っていました。
しかし、その暮らしを試すという機会が無かった。
そんな園田さんにとって、島体験との出会いは実際に島での生活が“試せる”、“体験できる”という魅力的なものでした。
では園田さんが海士町に来島し、どのような生活を送ってきたのでしょうか?
数十年後の島の景色を想像して…
事業所選びにおいて、園田さんはデスクワークの仕事より、自然環境と対峙できる一次産業に関わりたいと考えていました。また、今までやったことのないことをしたいという気持ちもあったそうです。
漁業、農業などの事業所もある中で、自分に合うのは「海より山」だと感じていたことから隠岐島前森林組合で働くことを決めました。
どちらかといえば文化系だった園田さん。
− 今まで身体を動かす仕事に携わったことはなく、運動自体も得意ではなかったです。林業という仕事にはボランティア活動で携わったことがありましたが、本格的な仕事としては全くの未経験でした。
新たな職場でのスタートにおいて、体力的についていけるのか、新しい職場に馴染んでいけるのか、心配はありました。
仕事内容としては、主に「インフラの保全」と「森のお掃除」をしていたそうです。活動場所は海士町、西ノ島、知夫村の3島に渡ります。
現在、園田さんは4人の班で活動しています。広大な土地を4人で連携しながらも、一人一人の作業も多く、黙々と作業をする仕事は園田さんに合っていたそう。
− 刃を丁寧に研ぎ、枝や木がスパスパっと切れた時や、枝や木を刈った後に森に光が入り、風が通るようになり、作業前との景色の違いを目にしたときに達成感を感じ、自分が森づくりに携わっているのだなぁと実感します。作業中に目の前にするきれいな景色や「こんな暗いやぶの中で、明るく花が咲いてるんや!」といった発見にワクワクしています!
作業現場の山中は電波も届かない圏外になることも多く携帯電話は使えません。また、当日は現場まで燃料や機械を担いで山へ登っていくため頻繁に下に降りることができません。そのため昼休みは山中で食事をし、食べ終われば丸太を枕にスヤスヤ昼寝をすることも多いそうです。
− そんな時間も林業ならではの特別な時間です。休憩中は作業で使っている機械音が消え、シーンと静まる山の中で、お弁当を班の方々と食べ、木々を揺らす風の音、枝葉の間から地面へ射し込む木漏れ日、虫の声など五感で自然を楽しんでいます。
森林組合(林業)での仕事ではやったことのない作業ばかりで、体力的に大変なことはあるが、自分が整備した森林が数十年後に島の景色となっていくことを想像するとやりがいを感じるそうです。
普段見ない動物に出会ったり、綺麗な植物を見つけたり新しい学びもある林業を選んでよかったと園田さんは笑顔で答えました。
「もう一人暮らしはできない!」シェアハウス生活の面白さ
24歳のとき一人暮らしを始めた園田さん。直後にコロナ禍に入ってしまい、人を家に呼ぶこともできず静かな生活を送っていました。
そんな生活から一転して、島ではシェアハウス生活。
家に帰ると誰かが「おかえり!」と言ってくれる、そんな環境に園田さんは居心地の良さを感じていました。
3ヶ月間、夜ご飯で外食をしたことはほとんどなく、シェアメイトみんなで自炊をしてご飯を食べていたことが多かったそうです。
一人暮らしだと自分が行動しない限り、何も起こらない。
シェアハウスでの生活はシェアメイトが友達を呼んできたり、帰りが遅い日にはご飯を作っていてくれたり、思ってもないことが起きます。
「そんな生活が面白く、楽しかった」
来島前はシェアハウスでの生活が自分に合うかという不安もありましたが、3ヶ月を終えてみて、「もう一人暮らしはできない!」と思うほど充実したシェアハウス生活を送っていたそうです。
「何かをしたい、してあげたい」という文化
休日には趣味である楽器(チューバ)を吹いて過ごしていた園田さん。
− ある日、レインボービーチで楽器を練習していた時に地域の方が声をかけてくださり、「どこかみんなで演奏する場所があればいいなぁ」というような話をしたんです。すると、話がトントン拍子で進み、海士町にあるブラスバンドに加わることにつながりました。隠岐島前高等学校の文化祭に出演する機会があり、学生・先生皆さんと共演もできたことは、とても素敵な時間になりました。
都会のような人が多い場所では声をかけることに抵抗があり、困っている人がいても声をかけるのにはハードルが高く、変な疑いをかけられてしまうのではないかというイメージを持っていた園田さん。
しかし、海士町では日常的に道端で会話が始まったり、手助けをしてあげるという雰囲気があり、「何かをしたい、してあげたい」という文化が当たり前にあるなぁと感じたそうです。
ゆくゆくは園田さん自身も「積極的に手を差し伸べられる人になりたい」と言いました。
特別なものだったけど、特別なものじゃなかった
園田さんにとって、
島体験の3ヶ月間は特別なもの(環境)だったけど、特別なもの(時間)じゃなかった。
地元(大阪)の人生があって、そのおまけに島体験があるということではなく、園田さんにとって島体験の3ヶ月は、ちゃんとした日常の一つであり特別な時間というよりは、必要な時間だったと感じたそうです。
海士町の様々な取り組みによって全国から人を呼び込み、多様な人が集まっていて、島外の人も入り込みやすい環境がある。島・田舎だから経験できたというわけではなく、海士町という特別な環境だからこそ自分らしくのびのびと生活できたかもしれない。
このような環境がほかの土地で同じように存在している訳ではなく、いずれ自分の居る場所が変わった時は自分の考え方を変えたり、自分が環境に馴染めるように努力することも大切だと感じたそうです。
− 海士町に来て、仕事や生活が今までとは180度変わり、人々の暮らしにも触れることができる島体験は良い経験でした。
仕事やイベント行事に積極的に参加し、充実した暮らしを送っていた園田さんにとって、3ヶ月という期間はあっという間に過ぎていってしまいました。園田さんは来島した当初、3ヶ月の島体験を終えたら大阪に戻り、就職すると考えていましたが、想像以上に海士町での生活が自分に合い、仕事も続けたいという考えに変わりました。
そして3か月間では次の仕事のヒントや方向性を具体的に模索できなかったため、引き続きそれらを探りたいと思ったことから、島での暮らしを延長することにしました。
おわりに
島体験の3ヶ月間が過ぎて延長を決めた頃、園田さんは一度大阪に帰省しました。
大阪に帰った時に懐かしさを感じると思っていたようですが、海士町に戻ってきた時に懐かしさを感じ、心が落ち着いたそうです。それほど海士町で充実した生活を送っていたのでしょう。
体験生としての3ヶ月間を過ごし、
「“自分の居心地の良さ”というものに意識を向けて生活していこう」
という大切な軸を発見することができたようです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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