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余白に気付き、選択肢Bを知った#2

都会といわれる場所で暮らしてきたけど、”地方”や”地域”、”まちづくり”に関心を寄せている現状に矛盾を感じていたと、小田嶋・米澤さん。

島では役場の交流促進課に所属しながら、現場をみるという観点から海士町観光協会で働いていました。

小田嶋澄さん(東京都出身)
取材当時21歳
米澤爽さん(神奈川県出身)
取材当時22歳


2人がなぜ海士へ来たのか・海士で経験したかったことは?・ここでの変化や気づきについてお届けした前回

▼2人がなぜ島に来たのか、、


#2となった今回は、2人が島でどんな仕事をして、何を考え、何を感じていたのかについてお届けします。

主な業務内容
・窓口業務(レンタカー・レンタサイクル貸出・観光案内・周遊券等の販売)
・電話対応
・海中展望船あまんぼうのガイド
・観光体験の提供
島宿サポート 
(※島宿とは、アメニティも揃って安心で清潔、島の郷土料理や島の営みと人情に触れられる海士町宿のこと。)


観光協会の一員として

ー観光協会での業務はいかがでしたか?3カ月間働いてみて感じたことを教えてください!

窓口業務は覚えることが多くて、最初は大変でした。窓口にくるお客さんは島体験生としてではなくて、観光協会の職員として私たちを見ているので、スムーズな対応がすごく求められます。1聞かれたらせめて5くらい返すような対応をしないといけないのが大変でした。

海士町観光協会窓口にて

小田嶋
私自身も、大学生だから・島体験生だからという理由でお客様への対応を適当にしたらだめだと思っていたし、したくなかったです。だから丁寧な対応を心がけました。
また、海中展望船あまんぼうのガイドも業務に含まれていたので、知識も必要なお仕事だなと感じていました。

私も観光協会の初日にすみかと同じことを考えていました。
そもそも海士町のことを知らないと、観光協会の一員としてお客様対応ができないっていうのが一番大変でした。なおかつ観光協会に来られるお客様にはガイドブックに載っていること以上のことを伝えないと意味がない。

明屋海岸

米澤
だから初めの頃は、すみかと一緒に明屋海岸へ行ったり、隠岐神社へ行ったりしました。自分で海士町を見たり聞いたりするっていうところに時間を割きました。それを嫌々ではなく楽しくやっていたので、大変な思い出としては残っていないです。むしろ、職場で使い物にならない方がしんどかったので、頑張れました。

点と点を結びぶこと・自分の在り方

ー働いている中でぶつかった壁や思うようにいかなかったことはありましたか?

私たちは交流促進課配属だったので観光協会で働くとは正直思っていませんでした。どうして私たちは観光協会に行くんだろうって最初の一週間はきつかった、、、。

でも、観光協会で働くうちに段々と繋がりが分かってきたんです。
観光協会にいると観光客という島の外の人、島宿という島の中の人、両方に関われる。現場を知ることの大切さに気づきました。

この視点に気づいてからは観光協会で働くことに対して違和感を覚えなくなったし、楽しいし、やりがいもあって。観光協会に入れてもらってありがたかったなと思ってます。


最初はできることがなくて手持ち無沙汰な時間が生まれてて、、
その空白の時間をどう使ったら良いかが分からなくて最初は戸惑ってしまっていました。

だけど途中から、空白の時間を利用して、観光協会にとってプラスになることをしようと心がけるようになりました。自分がいることで、観光協会にとってプラスになる、プラスαの存在になることを目指していました。

海中展望船あまんぼうのガイド

米澤:
例えば、人手足りてないなって思うところに入ったり、宿の情報をデータでまとめてみたり、働いていく中でこれをしたら便利になるんじゃないかとか考えながら動いていました。プラスαの存在になるという視点をもって観光協会で働けたのは良かったなと思うし、日々の積み重ねでそういうことができるようになったなと感じています。

自分の強みを活かして

ー自分の在り方や視点を変えることで見えてきたものがあったんですね。具体的にどんな心がけをしていましたか?

私は、米澤みたいにデータでまとめたりとかはあまり得意ではなくて。
その代わり、電話をすぐにとるとか、なるべくスムーズにお客様対応できるように知識をつけておくとか、ソフトの面で自分ができることを心がけていました。

すみかは知識量が本当にすごいんです(笑) 圧倒的に知識の蓄えがある。
電話を取るのも早いけど、蓄えた知識を活かした対応ができてる。
すみかと私が空いている時間にやっていることが違うから、お互いに高め合えるというか補い合えた部分があったなと思ってます。


それでも職員並みに私たちの知識があるわけではないから、せめて電話だけでも誠実に対応しようとか、ごはんの場所聞かれたらプラスαの情報も伝えようとか。少しでもお客さんがこの人に聞いてよかったなとか、海士の観光協会は良い対応をしてくれるなとか思ってもらえるように心がけていました。

私から見た、よねの尊敬ポイントは、よく周りのことを見ているところ。
今、何が必要かとかをよく見ている。組織の中で自分がどう動けばよいか考えているところが尊敬ポイントです。よねがさっき言っていた「プラスαの存在」を観光協会で体現していました。

観光協会って小さな空間だから誰が何をやっているかが見えやすい分、入ってくる情報も多いのが自分にとっては魅力的でした。その状況だからこそ、自分からアンテナを張って周りを見て、どう動けばよいか考えることができたなと思います。

観光協会という視点から見た海士

ー2人とも職場の中で自分の役割を見つける力が素敵です。海士町観光協会で働いて良かったことはありますか?

観光協会で働いて良かったなと思うことは、ダイレクトにお客様のニーズに触れられるところ。あと、ハブという意味で観光の事業所サイドがどんなことをしているかが分かるところでしょうか。

海士の観光協会は、ちょっとでも観光にかすれるものは全部担当しているんじゃないかと思うくらい、色んなことをやっています。海士の観光が集約されている場所だから、海士の観光全体を知ることができるというのが魅力の1つだと思います。

例えば、宿や飲食店など1つの場所にいたら、その場所には詳しくなれるかもしれない。けれど、観光協会という特殊な場所ににいることで島の観光の良いところもそうでないところも、まるごとリアルが知れる。


ハブになっているなっていうのは私もすごく感じたことでした。来島した目的として観光を知りたいっていうのはあったけど、その目的は大いに達成できる場所だなって思います。

島宿にて

島に来る前の人とも話すし、島に来た人とも話すし、これから帰る人とも話す。他にも観光協会で働く人や島宿の人などの島の中の人ともかかわる機会があるから本当に色々な視点から海士町を見ることができる場所だったと思います。
同時に海士町の観光の未完成なところが面白いなって思いました。

離島という選択

ー”島”というちょっと特殊な環境での暮らしや仕事は2人の目にどう映っていたのでしょうか?

私にとって離島は、すごく特殊な環境。フェリーでしか来られないし、天候に左右されやすい閉ざされがちな環境で、人口も減っている。ここは、地方の現状を体現していると思います。

多くの人が知り合いで暮らしと仕事関係なく人付き合いをしていて、だからこそ言える部分もあるけれど、どこか停滞してしまう部分もあると思うんです。
そういう中でみんながどうにかしようと思う気持ちがないと、衰退の一途じゃないですか。様々な産業と繋がっている観光は海士を盛り上げ、支える柱の1つになると思います。

お見送り用しゃもじを作りました

小田嶋:
そう考えたとき、島で働くという選択は日本の縮図のような環境を知れるもの。特に海士町では町全体で色々な動きがあるので、すごく濃い時間を過ごせるというのが島で働く面白さなのかなとは思いました。


海士町に来て、島で暮らすこと、働くことの魅力はたくさんあるなと感じまます。

一つは、隠岐諸島はジオパークに認定されていて、海士町で暮らすという事は、ジオパークに住み、働くということ。日常で見える景色が今の自分の心の穏やかさにつながっているから、それは一つ島で働くことの良さかなって思います。

もう一つは、自分の時間が取れるところです。遊びに行くところも少ないから生活の中に余白が生まれて、その時間を自分の時間として過ごせるところが良いなって思います。

JICAのかんこ船を運びました。モアイを運ぶ方式で運んでこれまでにない経験ができました。

米澤:
また、手触り感のある経験ができることに魅力を感じます。出身の川崎に住んでいるときには、自分は150万人分の1人だったので、川崎の一員であるという感覚はあまりなかったけれど、海士町で2300人分の1人になったときには、自分は島の一員なんだなという感覚がありました。

島で暮らし、見えてきたこと

ー3カ月の島体験を経て、2人のこれからについて教えてください。

島体験を終えたあとは地元に帰る予定です。

海士町に来て海士に誇りを持っている人にたくさん出会って、そういった環境の中で自分の地元について考える機会が増えました。

最近、地元の商店街にあった大好きだったパン屋さんとたい焼き屋さんがなくなって、その場所に若い人が入ってきて、カフェとか古着屋さんがオープンしたんです。それを見て、「貝塚熱いね!」って地元の友だちと話していました。そんな出来事もあって、地元に愛着を持つことって素晴らしいなって思うようになりました。

米澤:
来年の4月から就職で地元を離れることが分かっているからこそ、地元に戻って家族と過ごす時間を増やしたり、地元に戻って何かできないかなって思います。海士に来たからこそ、地元に戻ってやってみたいことができて、地元に帰る決断をしました。


私は、3カ月経って海士での生活に満足してるけれど、ちょっとリセットしたいなと思っているので一度本土へ戻るつもりです。大学の教授や友だちと海士での生活を話す機会を作りたいし、家族との時間も作りたいなと。
でも、海士といえば夏なので、7月に東京で少しゆっくり過ごしたら、8月・9月は何かしらの形で戻ってきたいなと思っています。


海士に来て、自分の時間と誰かと関わる時間との時間のバランスをすごく大事にしたいなと思いました。
島では適度に自分の時間も持ちつつ、観光協会を始め、様々な人と関わる時間も多かったので、「地域で暮らす楽しさ」を味わえたと思います。

小田嶋:
ここでは人と関わらないと得られない情報も多い。だから、地域の中で自分がどう関わっていくのか、どこまでかかわるのか、自分が人とどうコミュニケーションをとるのか、そういうところは大事な行動だと思っています。

でも自分の時間・余白というのも同時に大事になっていくと思っていて、自分に余裕がないと仕事も苦しくなるなと思うこともありました。だから、その余白は大事だと思います。


3カ月を一言で表すなら!

「選択肢B」
今までレールの上をそのまま走るような人生だったからAという選択肢しかなくて。それ以外の選択肢があるという考え方すら見えていなかったです。こっちに来て、やりたいことを存分にやって、360度自然に囲まれた環境の中で暮らして、初めてシェアハウスで暮らして。

小田嶋:
別の選択肢が自分の中にできたなという感覚です。これまでのまま大学生活を送っていたら出てこなかった選択肢が次々出てきました。

ただ、どっぷり観光に浸かったこともあり、地域に出ていって何かをすることがあまりできなかったのでそこは後悔として残っています。だからまた戻ってこないといけないかな(笑)
ここ!っていうのはないけど、海士がすごく好きな場所になりました。


「余白」
3か月で余白の大切さに気付いたという点でも、余白の時間を持てたという点でもこの3か月を表す言葉は余白だなと思います。

米澤:
私にとって海士はたくさんの問いが生まれた場所。余白というのにもつながっているんですが、考える機会が増えました。海士ってIターンが多くて、自分にとってすごいなと感じる経歴を持った人が多くて、、祭りと地域の関係性について考えたり、思考の機会が多かった場所でした。



あとがき


画面を眺めているだけではわからないこと

自分の興味や心惹かれるものに素直に

1歩踏み出して

イメージがリアルに変わる瞬間を””で体験してみませんか




島は気になったけど、やってみたいことは特にないかも、、
そんな方はこちら▼


自分の目で見てリアルを経験したからこそ▼


だんだん島体験が気になってきた人▼


最後までお読みいただきありがとうございました!

            (インタビュー・執筆/大人の島留学生 田中沙采)

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