自分が〝選ばなかったもの〟を思うときの感傷
野球場を通りかかったら、ユニフォーム姿の高校生たちを見かけた。そうだ、夏の甲子園の県予選が始まったんだと、気持ちがはやる。
これから試合にのぞむチームらしく、汗にも土にもまみれていないユニフォームは、おろしたてのように美しいスカイブルー。
彼らの横には、制服姿で野球帽をかぶった女子マネージャーの姿があった。「いいなあ」と、思わずつぶやく。憧れて、結局なれなかったもの。
子どものころ、夏休みの日中は、甲子園のテレビ中継がよくつけっぱなしになっていた。ある年、テレビ画面に映る一人のピッチャーに憧れた。ブルーのユニフォーム、日に焼けた顔に白い歯を見せる、笑顔が印象的な18歳。最初こそ、好きなアイドルを見つけたような気持ちだったけど、あの夏以来、高校野球が私の世界を変えたといってもいいくらい、夢中になった。
夢を追うということ、その厳しさもやるせなさも、高校野球を通して知った。闘いには孤独も伴うのだと、小学生の私はそんなことを考えた。
チームプレイでありながら、ピッチャーはとても孤独なポジション。息もつけない試合でマウンドに立つ姿は、まるで彼一人で大空を背負っているようで、連打されれば心が痛んだ。バッターボックスで気を吐き、立ち向かうバッターの姿には勇気づけられた。
そうやって、高校野球は私の「夢」になった。高校に入ったら、野球部のマネージャーになりたい。将来はスポーツ記者になって、甲子園の取材をしたい。ふくらむ夢の先端を追っていけば、思う未来にたどり着くと思ってた。
高校に入って「野球部のマネージャーになりたい」という私に、両親は猛反対した。女子がいいように雑用をさせられるだけだ、週末も練習や試合があって、いつ勉強するのか、と。親には逆らえない。その思いだけで思考停止。突破する力は、そのときの私にはなかった。
ずっと後になって全然違うことで親と衝突したときも、野球部のマネージャーをやらせてもらえなかったことを引きずり続け、「いつも親に夢を邪魔される」と思った。
でもそうだろうか。言葉を重ね、思いを伝え、親を説得した記憶はない。結局は、私自身の情熱不足だっただけ。
〝なれなかった〟のではなく〝ならなかった〟ことを選んだと、今は思う。似ているようで、夢に対する熱量は全然違う。
年齢的には高校生たちの親世代に近くなったにもかかわらず、スタンドや甲子園のベンチにいる女子マネージャーの姿がテレビに映ると、自分が立てなかった場所にいる彼女たちをまぶしく思う。
「うらやましい」という気持ちに加えて、自分が突破しようとしなかったものを実現している彼女たちへの尊敬。そこにはきっと、ちょっとした〝真夏の感傷〟も混じっている。
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