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『 響け! ユーフォニアム』は“百合”の占有物ではない。キャラ攻撃に走るのは断固反対する。(ついでに京アニ盲信を考える)

 これらは2022年のものですが、いくら男性キャラクターが気に入らなくても、誕生日を祝う投稿にまでnobody wanted thisだのshitだのsadだの、直接つけるのは常軌を逸しています。私はこのような行為に断固反対します。作品批評自体は尊重されるべきですが、キャラクターヘイトになったらそれは違うだろうと。


【参考となる投稿】

アニメの脚本家が百合の餌を押し付けすぎて、長い間秀一を嫌いになった。(DeepL翻訳

私はノゾミゾのファンだが、アニメがあれほどクミレイを餌にしなければ、このカップルも気にならなかっただろう。(DeepL翻訳


――そもそも京アニ自体、信頼できるのか?

 アニメ制作会社「京都アニメーション」(以下、「京アニ」)の代表作であり、なおかつ出世作のように目されている『涼宮ハルヒの憂鬱』は、ミソジニーがけっこうきつい作品でもあります。

「こんちわー!パソコン一式、いただきに来ましたー!」
 間取りは同じだが、こちらの部室はなかなかに手狭だった。等間隔で並んだテーブルには何台ものディスプレイとタワー型の本体が載っていて、冷却ファンの回る低い音が室内の空気を振動させている。
 席についてキーボードをカチャカチャと叩いていた四人の男子生徒、何事かと身を乗り出して入り口に立ちふさがるハルヒを凝視していた。
「部長は誰?」
 笑いつつも横柄にハルヒが言い、一人が立ち上がって答えた。
「僕だけど、何の用?」
「用ならさっき言ったでしょ。一台でいいから、パソコンちょうだい」
 コンピュータ研究部部長、名も知れぬ上級生は「何言ってんだ、こいつ」という表情で首を振った。
「ダメダメ。ここのパソコンはね、予算だけじゃ足りないから部員の私費を積み立ててようやく買ったものばかりなんだ。くれと言われてあげるほどウチは機材に恵まれてない」
「いいじゃないの一個くらい。こんなにあるんだし」
「あのねえ……ところでキミたち誰?」
「SOS団団長、涼宮ハルヒ。この二人はあたしの部下その一と二」
言うにことかいて部下はないだろう。
「SOS団の名において命じます。四の五の言わずに一台よこせ」
「キミたちが何者かは解らないけど、ダメなもんはダメ。自分たちで買えばいいだろ」
「そこまで言うのならこっちにも考えがあるわよ」
 ハルヒの瞳が不敵な光を放つ。よくない兆候である。
 ぼんやり立っていた朝比奈さんの背を押してハルヒは部長へと歩み寄り、いきなりそいつの手首を握りしめたかと思うと、電光石火の早業で部長の掌を朝比奈さんの胸に押しつけた。
「ふぎゃあ!」
「うわっ!」
 パシャリ。
 二種類の悲鳴をBGMに聞きながら俺はインスタントカメラのシャッターを切った。
 逃げようとする朝比奈さんを押さえつけ、ハルヒは右手につかんだ部長氏の手でぐりぐりと小柄な彼女の胸をまさぐった。
「キョン、もう一枚撮って」
 不本意ながら俺はシャッターボタンを押すのだった。すまない、朝比奈さん。と、名も知らぬ部長。朝比奈さんのスカートの中に突っ込まれる寸前に部長はやっと手を振りほどいて跳びすさった。
「何をするんだぁ!」
 紅潮したその顔面の前で、ハルヒは優雅に指を振った。
「ちちち。あんたのセクハラ現場はバッチリ撮らせてもらったわ。この写真を学校中にばらまかれたくなかったら、とっととパソコンをよこしなさい」
「そんなバカな!」
 口角泡を飛ばして抗議する部長。その気持ちはよく解る。
「キミが無理矢理やらせたんじゃないか!僕は無実だ!」
「いったい何人があんたの言葉に耳を貸すかしらねえ」
 見ると朝比奈さんは床にへたり込んでいた。驚きを通り越してもはや虚脱の境地である。
 なおも部長は抗弁する。
「ここにいる部員たちが証人になってくれる!それは僕の意思じゃない!」
 唖然と大口を開けて石化していた三人のコンピュータ研部員たちが、我に返ったようにうなずいた。
「そうだぁ」
「部長は悪くないぞぉ」
 しかしそんな気の抜けたシュプレヒコールが通用するハルヒではなかった。
「部員全員がグルになってこのコを輪姦したんだって言いふらしてやるっ!」
俺と朝比奈さんを含む全員の顔が青ざめた。いくらなんでもそれはないだろう。

谷川流:著
角川スニーカー文庫『涼宮ハルヒの憂鬱』
平成15年6月10日初版/引用元 平成21年2月15日46版

 上記引用部分のパソコンを入手する流れは、アニメ版でもだいたい原作通りに映像化されており、典型的な女性蔑視構文です。

 何故、『涼宮ハルヒ』シリーズを京アニの代表作として挙げる固定ファンが後年にも多いのか、思考停止せずに考えてみる必要があるでしょう。

 固定ファンが多くなってから以降は原作を弄りまくる(そのくせ面白くもない)ことが作風化していった京アニですが、作品には若年者を性的モノ扱いする描写などがよくありました。『涼宮ハルヒの憂鬱』の内容にしても、機械的に原作を再現しただけというわけでもなく、京アニという会社からすると初めからそう大して違和感がなかったのでしょう。


 と、そこまで書いて、『ツルネ』(2018年~2019年第1期放送)という女性ターゲットアニメにもかなりイライラさせられたのを思い出したので、ちょっと見返してみました。

 あるメインキャラクターが昭和男の価値観で女語りをしており、第1話こそたしめられていたものの、その後には、「小姑」発言だの、すぐにそれが肯定的なキャラクター造形へと切り替わっていて、やっぱり気分が悪くなりました。顧問の先生の「弓道に男女の区別はない」というセリフは何のためにあったのでしょうか。

 そして、第3~4話の「下僕」シャツを着せている描写が常軌を逸していてドン引きしました。やっぱり京アニは倫理観がおかしかったです。

 しかも、グッズにしていました。人権問題を考えたら、こういうの着せるの、まったく笑えない…。



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