失われた30年 vol.3
続き。
前回の記事の理由から子供は大学には行かせません。
逆に今だったら、どうなの?って聞かれると…
多分、行かせます。
それは大企業に就職させたいからではなくて、大学という環境に魅力があるからです。
今の時代、社会人も学生でもお金は稼げます。
時間=お金の時代から、能力=お金の時代になったから、何歳でも仕事はできますよね。
ってなると、いかに早く自分の将来を決めるかが勝負のポイントです。
10歳で自分の生き方や将来を決めた人間と、社会人になってから決める人間と、その段階で10年のアドバンテージがあるわけで、それは一生埋めれないくらいのアドバンテージだと私は思います。
10歳までにそれを決めるって、とっても大変です。
教育も経験も、人の何倍も頑張らないとダメです。
でも、それくらいの価値はあると思うので、10歳までに自分の人生設計できるように育てるのが私の目標ですね。
そうなっちゃえば大学だろうが、海外留学だろうが何でもしちゃえ〜って感じですね。全てが自分の能力に活かされるわけで、ひょっとしたらスポンサーや企業と共同研究なんてことも選択肢として生まれるかもしれません。
ということで、時代時代によって、かなり価値観や人生設計は変わってくると私は思っています。
1990年頃、子供二人を大学に行かせないで済むなら、家計はかなり助かります。当時は2人兄弟、3人兄弟が当たり前の時代だったから、せっかく貯めた貯金もこの時点でほぼ無くなるでしょう。
そうなってくると老後の資金も余裕が無くなって、退職して子供も離れて、せっかく自由な時間を手に入れたのに、お金がなければただただ時間を浪費させる毎日しか送れません。
多分、こうなることは今の私でも、タイムスリップした私でも、ちょっと想像したら気付くことです。
ただ、気付くには周りの価値観や人生設計を疑う必要がありますよね。ほんとにその生き方は正しいの?って。
価値観の狭さ。
vol.1で書いたのですが、価値観の狭さって、こういうことだと思います。この価値観しかない。この考え方しか正解はないって思うことが価値観の狭さ。
答えが一つしかない。
このパターンはこの正解しかない。
だから、それ以外の答えは全部不正解だし、答えを探す行為すら不正解。
私が親世代や教師たちを嫌っていた理由はまさにそれです。なんて柔軟性や応用力がない大人たちなんだろう…
逆に反面教師で、今の私に恩恵をもたらせてくれているかもしれませんが、反面教師じゃなくて、ちゃんと教えてほしかったな。と心より思います。
あと、タイムスリップついでにもう一つ伝えたかったことがあります。それは仕事です。
仕事というか経済ですね。
今の時代はどの業種も生き残るのが必死な時代。
利益が出たら、積極的に投資して事業のキャパを大きくしていく。そして、たくさん投資を募って、事業のスピードをどんどん加速させていって、最速で企業価値を高めていく時代。
昔も同じだったかもしれません。
でも、もしバブル時期に全ての企業が積極的にこれを行っていれば、今の時代どうなっていたのでしょうか??
あのときの日本経済で大量に出た利益たちは、何に使われていったのでしょうか??
勝てるときに勝つ。
これは商売の鉄則だと思います。
ずっと勝ち続けるなんて不可能だから、勝てるときに事業拡大と投資してアクセル全開で勝つのです。
そして、負ける前に売る(笑)
これはちょっと反則ですが、とにかくずっと勝ち続けるのは、とっても難しいということです。
でも、もしずっと勝ち続けると思っていたら、どうなるでしょう?
この経済状況がずっと続くと思ってしまったら、どうなるでしょう?
そしたら、勝負なんかしませんよね。
あえて、投資や事業拡大というリスクを背負ってまで勝負しませんよね。
今のままで充分豊かだから、この状態をずっと続けたいと誰もがそう思うでしょう。
利益もずっと出続けるわけだから、先のことは置いといて、とりあえず今を楽しもうって誰もがそう思うでしょう。
続く。
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