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私が母からもらった言葉で
最も印象的なのは

「お前さえおらんかったら、
こんな家に嫁に来んかった!」

という言葉だ。


私は、関西の田舎で生まれた。
家族構成は、
父、母、私、弟2人、父方祖父母。

母にとって
義理両親(私の祖父母)との同居は
相当辛かったようで
(私もやれと言われたら無理だ。)
父と母は、
祖父母のことでしょっちゅう喧嘩していた。


当時、私は高校3年生で、
自室で受験勉強をしていた。

その日も
祖父母のことで父と母が口論になり、
私は「また始まった。うるさいなぁ。」
と思いながら、勉強に集中しようとしていた。

ドタドタドタと誰かが私の部屋に走ってくる
音が聞こえたとき、
母がバーン!と私の部屋のドアを開け、
上記の言葉を大声で叫んだ。


一瞬で、私は、
自分ができちゃった婚(当時の言い方)で
できた子だということを悟った。

「誰も産んでくれなんか頼んでないわ!」
と当時は思ったが、
それから最近まで、約15年間、
”自分は別に生まれてくる必要がなかった”
"なんで生まれてきたんだろう"
”生まれて来なくてもよかった子”
という想いが、
べっとりとしつこく私にこびりついた。

※正確に言うと、
幼少期から存在を否定されることは
多々あったので
この母の言葉で
自己否定がより強固になった感じだ。
もちろん、自分の気質もあるとは思う。


自分が母になり、
母という「仕事」がどれだけしんどいか、
どれだけストレスがかかるか、
日々身に染みている。
そして、これは、
子どもがかわいい・愛しいとは
別の話だと思っている。
ここに義理両親も乗っかってくると、
負担感は想像を超えるものだろう。

ただ、親が子どもにかけた言葉は、
大人になってからも何年も尾を引く。

傷ついたことを認めて自分を慰め、
その出来事も自分の一部だと
受け止められるようになるまで、
子どもは親の知らないところで
相当頑張ることになる。



「自己肯定感」という言葉が
巷で出回り始めたとき、
なんとも言えない心地悪さがあった。
高いことが良くて、低いことが悪い
というような評価に違和感を感じながらも、
その言葉に飲まれ、翻弄されて
どんどんしんどくなる自分がいた。

「そもそも生まれてこなくてよかった自分」に
「自己肯定感」なんてものは初めからなく、
その言葉により
さらに存在を否定されているように思えた。


今、自分の自己肯定感が高いか低いかは
よくわからないが、
どっちでもいいと思っている。

生まれてくる必要がない中、産んでもらい、
人生を与えてもらえたことに
ただ感謝している。

偶然もらった人生を、
私は大切に使いたいと思うし、
人生の中でもっともっと幸せを感じたい。
そして、
自分以外にも幸せだと感じる人を
増やしたいと思うのだ。

このように思うようになったきっかけは、
また次回。

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