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【第2期作りて紹介!】『歌声ひびけ!おがのプロジェクト』作りて・あらゆか(新井佑香さん)

 「みんなで、つくる」大人の学校では、第2期より、そのお一人おひとりに光をあてるインタビュー記事を発信していきます。特に、想いから企画を動かしていく作りての方にスポットをあてていきます。ぜひ、お楽しみください。

 そんな作りてインタビュー1人目は、大人の学校で副代表も務めているあらゆかこと、新井佑香さんです。

普段は、どんな仕事をしていますか?

 普段は、私立学校の食堂で働いています。

仕事と特技を生かして、大人の学校でも(第1期学びの時間「未来の農業」)活躍されています

 小さい頃から食べることが好きでしたし、実家で畑や田んぼをやっていたので、いつも「食」が身近にありました。大学で栄養士の資格をとり、今も「これが自分のやりたいこと」と思い、日々楽しく、仕事をしています。

家でも料理を。胡桃のパウンドケーキ。


休みの日の時間の過ごし方は?

 ゆとりのある生活、余白を楽しめる暮らし方をしたいなあと思って、日々過ごしています。暇があれば料理を作ったりとか、平日休みの時は近くの公園に行って、散歩をしたり。
 前職の教員時代のように忙しかった時は目を留められなかったのですが、自然や物事の些細な変化にも敏感になったように思います。

あらゆかのご自宅庭に咲く梅の花
春の訪れを感じるふきのとう
「内側から眺めてみた」という桜

 また、「仕事」と「そうでない」時間の切り替えがはっきりしています。余暇の時間では、「とことん仕事のことは忘れて」ということを、体現しています。考えなくても大丈夫な状況に自分が置かれていることに、ありがたいなと感じる日々です。

幼少期を振り返り、よく思い出す出来事は?

 全然ゲームや漫画に触れてこなかった子ども時代でした。友達の会話に全くついていけなかったのですが、不思議と嫌だとは思いませんでしたね(笑)。

 畑や近くの山などへ姉妹や幼馴染と一緒に出かけ、近くの木に誰が一番早く登れるかを競ったことなどを、思い出します。遊ぶもの、遊ぶ場所がいたるところにあったことが楽しかったんですね。

窓から見える、地区の景色

どんな子どもでしたか?

 家族といる時、幼馴染といる時は、「自分のありのままの姿を出せている」子どもでした。恥ずかしさや隠したくなるような自分の部分をさらけ出していたように思います。また、やりたいことはやり、思ったことは思う存分表現することも多かったです。

 一方では、ちょっと人数が多くなると、顔が真っ赤になるほど、恥ずかしいと感じることが多かったんです。今でもそうなのですが・・人前で話したり発表したりする時は、緊張することがありました。
 小学校などでは、「やってくれる?」と誰かにお願いされるまでは、自ら主体的に目立って何かをする、ということはあまりなかったですね。

お姉ちゃんと。

どんな学生時代を過ごしましたか?

 高校生くらいの時、何かにものすごく焦っていました。自分の理想に届かないもどかしさや、何がやりたいのかを決めきれなくて焦っていたんだと思います。

 よく母からは、「今のあなたが見えているよりも、社会や世界はもっと広いよ。」と教えられていました。だからこそ、これから足を踏み出す世界の中で自分が何かに挑戦するには、「自分にはこれができる!」という明確なやるべきことをもっている必要があるなって、ずっと思っていたんだと思います。

 そんな高校生時代を過ごす中で、大学受験をする時には、「食」でいくと決めていました。

学生時代には、「カタリバ」の活動にのめりこんでいた

その後、学校の先生になる

 まさかの進路変更でしたが、「食」のつながりから、家庭科教諭の免許を取っていたので、大学卒業後に教員になりました。大学時代に痛感した子供に関わる食の課題を、子どもたちに一番近いところで考えてみたいと思ったのがきっかけです。

 教員生活の5年間では、本当に色んな子どもたちに出会わせてもらいました。「心が優しい子」「人思いだなあという子」など、子供たちの温かさを感じて、私自身が心を揺さぶられ、救われる日々でした。

体育祭前のクラスの黒板。

 そんなかけがえのない経験をさせていただく一方で、高校受験など前にして、そういういろんな良いところを持った子どもたちを、勉強と運動という大きな括りを中心に、数字やアルファベットを用いて評価しないといけないということは、やっぱりもどかしかったです。

 その時に活用したのが、学級通信でした。「◯◯さんが、休んだ人の分まで掃除場所を綺麗にしてくれたよ」とか、「◯◯さんは、朝早く係の仕事をしていてね」など、誰にも気づかれないようにやっている良いところを紹介するようにしました。そんな取り組みを続けていると、子どもたちの中から、「ああ、このクラス良いなあ」とそういう言葉を聞けるようになってきました。
 私自身も、特定の面から「こういう人」だなと決めつけてはいけないということを、子どもたちから学ばせてもらっていたんだと思います。

手書きて書いていた学級通信。真ん中には、子供たち一人一人へのメッセージを書いた。

大人の学校に参画しようと思ったきっかけ・理由

 1つは、「この人には、こういうところがあってね」と、色々な視点から、お一人ひとりを語ることができる仕組みを大人にこそ作れたら素敵だろうな、と思いました。

 2つ目は、自分が暮らしている町なので、「何もない」「ただの田舎だ」と文句を言っていることはしたくないと思ったことでした。自分が「こういう町だったら良いな。」とワクワクするような町をイメージしながら、アクションを起こしていきたいと思いました。そして、関わる人みんなが、ここではそんな風にちょっとしたアクションができる、そんな仕組みを作れたらと思いました。

第1期のアウトプットデイで、進行を務めた

実際に、大人の学校で、「対話の時間」をやってみてどうでしたか?

 対話の時間を通して、小鹿野町の中で深く一人ひとりの人と繋がれる喜びを、知りました。

 これまでは、自分が住んでいる小鹿野町を、物質的・地理的に見えていたように感じます。それが、もっとリアルに見えてくる感じがありました。その町を構成しているお一人ずつがリアルに見えてくる感触があって、嬉しかったんです。「あそこには◯◯という仕事をしている◯◯さんが住んでいる」といった感じです。

 自分が小鹿野町にいる以上、色々な人とつながって、顔がわかる関係性の上で暮らしていた方が自分は幸せだなあ、そういう町で暮らしたいなあとずっと思っていたことにも気づきました。

第1期、第3回目の「対話の時間」。母校、旧長若中学校校舎、図書室で行った。
企画している「対話の時間」の様子。お気に入りのシーンの1つ。

第2期では、歌声プロジェクトを始めることにしたきっかけ

 私はいつも車の中で歌を歌うのが好きなのですが、ふと、歌を歌っていた時に、この感覚をみんなで共有できたらもっと楽しいし、ワクワクすると感じたのです。そして、歌は繋がりを深めるきっかけにもなるのではないか、と。

 また、教員時代から「歌には人・集団を変える力がある」と信じていました。なので、教員を離れても、大人になっても、そういう場所を作りたいなあと思っていたのだと思います。

大人の学校は、今のあらゆかにとって、どんな存在?また、どんな影響を受けている?

 端的に表現すれば、自分が人と繋がるきっかけの場所です。

 また、些細な挑戦を、ものすごくハードルの低い状態でチャレンジできるのが、私にとっての大人の学校です。いろんな仲間と出逢って、一緒に形にもしていけると思っています。「歌声ひびけ、おがのプロジェクト」だって思いつきの想いから始めましたが、その私の想いに共感してもらって地域の方にサポーターを引き受けていただいたりと、とんとん拍子で前に進むことができて、びっくりしています。

 もっとこの大人の学校を通して、人に出会いたい、些細なチャレンジを続けていきたいと思います。

今後の人生の目標やビジョンは?

 「自分のやりたい」と思うことを、素直に表現してやり続ける生き方をしたいです。

 そして、お互いに、素直に自分のやりたいことを表現し合える仲間が小鹿野町に増えていったら良いなと思っています。

【インタビュー後記】
 いつも何事に対しても真っ直ぐで、情熱と思いやりにあふれるあらゆか。そんな彼女の、幼少時代やこれまでの人生の経路をうかがう中で、想いや原動力の源に触れさせていただいたようでもありました。そんな彼女の想いに心を動かされた方は、ぜひ、『歌声響け、おがのプロジェクト』にも遊びにきてください。(インタビュアー・うさちゃん)


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