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アナザー・ネバー・エンディング・ストーリー。

 当初予定していた王子様がついうっかり別の女性と結婚してしまったものだから、運命の接吻を逃してしまった白雪姫が、王子の子が成人するまで待たなければならなくなって眠りの中で歯ぎしり、焦れた。
 そんな白雪姫をよそ目に、経済は潤沢に育っている。長い眠りを流れゆく車窓からやり過ごすように、スマホが生まれ、科学技術が機械に頭脳を与えた。人は植物性タンパク質を本物の肉だと信じて疑わなくなり、次の抽選会で当たりを引けば月面旅行に行けると確信するようになった。
 資本主義が脱皮して新資本主義と叫んだのは、『シン・ゴジラ』の信奉者である。酔狂にもほどがある。所詮は資本主義の大枠から逃げ出せていないのに、ゴジラが街もろとも人類を一網打尽にする時みたいに、人々は惑わしのまやかしから未だ脱することができていない。
 我々は経済庇護者という名目の下、囚われている。それもこれも、みんながみんな例外なくいっせいに経済奴隷の毒林檎を齧ってしまったせいだ。

 旧王子が王職に就き、息子が王子となった。新王子は思う。そろそろ寝過ごしてしまった姫を起こしに参らねば、と。
 父が接吻を与えるはずだった姫への口づけは、思いを深めれば妙な違和感を誘発したが、ここで父と同じように別の女性と結婚すれば、まとまる話も絡んだ糸をほぐせなくなる。ここはひとつ、腹を括るしかない。

 ところが、である。王子、父が与えてくれたレクサスのスポーツタイプを駆り姫の眠る森へと向かうが、森の悪路は現代文明のシャコタンを造作もなくはね除け、先を阻んだ。おかげで魔女は王子を阻止する魔法を使わずに済み、ほっと胸を撫で下ろすことになる。まさか物語がこれほど長引くとは思いもしなかったので、もともと老齢だった魔女はさらに年をとり、真老齢魔女となって体の節々を病んでいた。満身創痍の彼女にとって、魔法は命を賭した大勝負だった。『使わずに済むのなら使わないのに越したことはない』。現実を捻じ曲げてきた人生だったが、よる年波に角が取れ、彼女は丸くなっていた。
 心臓が止まってしまっては、元も子もなかったこともある。生きて我が身に花が咲く。散り切ったような容姿を鏡に映し、真老齢魔女が魔法の鏡に問いかける。「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいのはだあれ?」
 しん。
 応えはなかった。どうやら役回りを終えたと勘違いしたらしく、公演用の荷物一切合切と共に鏡の精は楽屋から姿を消していた。
 やれやれ、と真老齢魔女は肩と吐息を同時に落とす。

 経済は育っている。数十年ぶりに上向いた景気曲線がにわかに上昇しはじめている。
 飲料の値が上がり、今では光熱費が家計を如実に圧迫している。支出は増え、借入金も増加した。このままでは国家予算の二の舞となってしまう。どこかで辻褄合わせをしなければ。 

 経済の好転は、とうの昔に実現し得ない伝説になったと思っていた。それがどうしたことか、気まぐれに踵を返し、ちゃっかり明るい明日に向かいはじめた。

 王子は轍にはまったまま、動けずにいるレクサスを呆然と見下ろしている。世界のどこかで、明るい未来に踏み出せずにいる落ちこぼれが世界の不平等に愚痴をこぼす。経済の轍から抜け出せずにいる私たちは、いつ訪れるともわからない明るい明日を見上げている。足元は回転寿司のベルトコンベアーとは違う。黙って回っていれば、いつかいい人との出会いがやってくる、という甘い話にはならない。苦く、酸味が効いている。下りのエスカレーターを這い上がって来いと言わんばかりの荊の道なのだ。

 姫の迎えは来ない。姫はまた取り残されたのだ。誰からも目覚めのキスを与えられないまま、森の奥で眠り続けるしかなくなってしまった。リアルな夢を見ているのだろう、寝ているはずの姫の顔に浮かんだ悶々とした表情は、側で見ているのも辛い。

 世界は出口の見えない物語でできている。現実社会とはそういうのものさ、と声がする。鏡の精が気取られないように駅舎の柱にそっと身を隠した。

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