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僕らと寓話の役まわり。

 人はときにウサギになり、カメにもなる。引き離したつもりでも、油断大敵、いっときの気の迷いが居眠りの遠まわり、気がつくと追い抜かれていて、急遽、踵を返すみたいにして追いかける側にまわっても、時すでに遅し、もう間に合わない。
 誰よりも抜きん出て、その他大勢を大きく引き離していたその過去は自尊心、プライドはあまりに大きく重く育っていたものだから、足枷となって尾を引いて、追う足どり辛く、痛く、重く、目をあ上げればゴールのテープは誰かに先に切られていて、地にのめりこむほどに落ち込むことになる。
 かたや足は遅くとも、たゆまぬ努力と寝ずの足どり、たとえ足元おぼつかなくとも負けん気は健在で、遠く先をいく『足の早い者』を千里の道を行くが如く追う鈍足は、ごくたまにだけど幸運の女神に微笑まれ、ウサギを居眠りに誘い込み、カメに希望の光を与えたもうことになる。 

 圧倒的強さを誇る者は、完膚なきまでに差をつけ先を行く。大谷翔平を追える者は類い稀なる才を身に纏った者に限られてくるし、ウサイン・ボルトを100メートルの限られた道筋のうちで置き去りにしようだなんて、そんな畏れの多いこと、誰も思わない。諦めの境地に人心を追いやる圧倒的で百獣の王的強さだけが例外なのだ。彼らはウサギでもなくカメでもない。別次元のトラックを駆けるライオンだ。

 このようにして我々は、別次元を横目にウサギになったりカメになったり。

 人は寓話の中に生きている。ウサギとカメは平等だと説き、ライオンのことは横に置いておけと教えてくれる。それでも絵本を開けばいっときうっとりできるのは、絵本内部で起こる一大事の支配者にさせてくれるから。
 24時を待たずに消える魔法は、絵本を閉じるまで続く。
 閉じては別の絵本へ。手を替え品を替え、花弁を渡り歩くハチのように、甘い蜜を吸い出しては、を繰り返す。結局のところ、集めても、貢いでも、働きバチは女王蜂のために精を出すのに終始する存在でしかないのだけれども。

 支配者はいつだって働きバチの稼ぎを最終的に掠め取り肥えていく。出版社は絵本を売ってシノギとし、読者は絵本の醸す夢に踊らされ、社会の辛さ悔しさを夢で薄めながら日々を行く。
 人はウサギになってもカメを演じても、実のところ支配者に「ゴールを目指せ」と尻叩かれて毎日を走らされることになる。

 人生は滑稽話。誰もが絵本を開く支配者的読者であり、物語の中でドタバタ振る舞う出演者の重責を担っている。

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