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海の命と生きる糧。

 漁港とマリーナの顔を合わせ持つリゾート・ピアにいる。風も穏やかな気候に身を寄せ、羽を休めている。海上には十数羽海猫が点在し、羽根を膨らませたものは直後に飛び立ち、あるものはてんで噛み合わない歯車のように、のどかに冗長な猫の声をあげた。
 観光客のカップルがターリーズのコーヒーを海沿いウッドデッキ上のテーブルに置いた。それから気の利いた椅子に浅く腰掛けると、互いに距離を縮め始める。
 足の向く先にそのカップルがいた。緩め切った歩は、歩くという行為よりもむしろ観覧のための移動の域に近い。ゆるりと近づくにつれ、カップルの会話のいちいちが明瞭になっていく。
 他愛もない会話だった。彼らは日常から切り離された空間には似つかわしくなく、極めて現実的なテーマに着手し、自宅用キッチンの調理器具メーカーについてささやかに意見を交換している。どこので揃えるか? だって。そんなこと、アウトレットにでも足を運んで一気に片付けてしまえばよかろうに、わざわざ観光地に持ち込むのは、アバタがエクボに見えるのと同じで、すべてが薔薇色に見えているせいかもしれなかった。
 愛は人生のパステル絵の具。きっと今の彼らなら、ルーティンで退屈な仕事だって嬉々と瞳を輝かせ合ってこなしてしまうに違いない。
 こんな余計なお世話も、念じるだけで口にしなければ誰にも迷惑はかからない。気取られないように涼しい顔で通り過ぎてしまえばいいだけのことだった。横目でチラ見も禁物。よからぬ思いの痕跡は残すべきではない。総天然色に彩られた愛に不適切なシミは残してはいけない。

 海は静かに揺れている。のたりとした波はのたりとした隣の波とつながり、今日の海ができている。のたりとした波のまにまにその身を任せ、海猫はまるで呼吸で上下する海の腹の上で遊んでいるんだか弄ばれているんだか、当の本人にもわからないといったような惚けた顔で揺られている。

 相変わらず海猫は、あるものは飛び立ち、飛んでいるものはしばらくするとヒレのついた足で海面に制動をかけて着水した。
 急降下で海にダイブするものもいる。狙いを定めた先の行動だ。
 その勘のよさといったら。百発百中で、小魚を咥えて海面に顔を出す。大きさからするとイワシだろうか。嘴で捕えられた小魚は、海猫が鳴らすように震わす喉にふた口三口で丸呑みされていく。
 穏やかな、夏の名残の日差しがのたりと揺れる波の突端を煌めかす初秋の昼下がり。のどかな時間帯で気を緩めたイワシが海猫に呑まれて溶けていく。当のイワシもまさか今日その時に命を落とすなんてこと、少しも考えてはいなかったろうに。不意に襲われた不幸は、イワシに海面近くまで浮き上がってことを後悔させただろうか。寸刻前まで陽の光に溢れていた世界が、いきなり呑まれて海猫の腹の中、その闇にイワシはどれだけ震え上がったことだろう。

 振り返るとカップルの姿はイワシよりも小さくなっていた。

 残る命は生き続け、生きていくために命を食らう。

 函館にいる。遅めのランチは朝獲れのイカ刺し定食あたりがいい。

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