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秋よ、来い。

 空腹も満たせば次に新しくしたいことを好奇心が探し始める。今年は特段、刻まれる夏だった。灼熱で膨らむだけ膨らんだ夏は、ことごとくのあれこれが四肢の隅々にまで行き渡り、満身創痍、満腹感は半端ない。だからか、気持ちはすでに次の季節に向いた。
 早く沈むようになった陽も、急いた気の迷いなんかじゃない。着実に、確実に、季節の歯車がかちりと心の中で秒針を進めたのだ。
 それは冷気を含んだ一陣の荒風だった。夏の熱気に迷い込んだ一筋の冷気は、幻のように現実味を欠いてはいたけれど、夢ではなく現実に頬をこごらせていったのだ。頬に触れてみれば真実に息を呑むはずだ、どこに疑念の余地などあろう。 

 秋は減法の季節。足し算で積み上げてきた夏から、熱を間引き、高揚を減らし、長期の休みを奪い取る。
 一縷の寂しさを感じるのは、秋の常套手段にしてやられてしまうからだ。情熱から熱を間引かれた情は、芯を欠き、頼りなくヘナへなとくずおれる。人を恋しく思うのは、迂闊にも誰かに支えてもらいたくなるせいである。

 秋はいろいろなものを減らしていく。食欲が増すのはその反動で、人はこぞって秋に責任をなすりつけ確信犯で肥えてしまうところだが、それは秋が本来、人に望んだ効果ではない。だが、ただでは起きないのが秋という季節の狡猾なところ。じわり物価に厚みが出て家計にかかる負担が増している昨今の経済事情の渦中でさえ、しっかり財布の中身を減らしていく。

 心が思い浮かべる風景は、熱気をスコンと抜き去った晴れ渡る青空だ。こうべを垂れる稲穂に赤蜻蛉、田舎家の炉に火が入り、茅葺きの屋根裏を炙り始める。
 囲炉裏に使い古された焦げた串が並んでいる。獲って刺した魚は岩魚か。斑点からすれば山女かもしれない。鮎が一番の好物だけど、釣果はその日によって違うから期待どおりにいかないこともある。仕方がない。秋はこのようにちょっとした事象にも気を配り、期待をもじょうずに減らしていって醸し出す郷愁に厚みをもたせていく。

 秋よ、来い。熱中症対策もこれだけ長引けば飽きも来る。

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