実に向けて虚の舵を取る。
雑誌編集をやっていると、妙なところでライバル心が生まれる。読者ファーストでいかなければならないと理性が諭そうとしてくるけれど、本能はおいそれとそれを聞き入れない。マガハは30歳までに芽が出なければ編集部にい続けることは難しいと風の歌に聴いた。他社の厳しい現実の波が、いつ我が編集部に押し寄せないとも限らない。毎週発表される記事ごとの人気ランキング。担当した記事が上位に食い込んでいかなければ、未来の光が少しずつみすぼらしく変色していく。追いつかれると食われる弱肉強食の弱者となって、取り残されてはいけない生命線に追い縋ろうとしていた。ライバルは、編集部内にいる。
与えられる企画をこなしてばかりでは、定年まで事なかれ主義を貫く保身の販売管理部・木村部長に成り下がってしまう。生き甲斐よりも、細くても波風のない人生をちろちろと生きるーー出版社にもそういったぶら下がり社員がいることに最初驚きを隠しえなかったけど、我が身を投影できないわけでもなく、あの姿がある種未来の逃げ道のようでもあり、そうした生き方を否定することを止めた。狡さがあった。狡さは弱さで、はじかれても受け入れてくれる器が残されていることに安心しようとしていた。
少し考えたら、自分も保身に走る木村部長とすでに同じところにいることに気づいて嫌悪した。今はまだ違う道を進んでいるにせよ、戦い敗れて逃げ込む道の先には、堂に入った保身の木村部長がいる。最後はそこで、と気を抜いた自分の意識は、まさに逃げ道のど真ん中にいる。
いかんいかん、こんなことでは、と負の妄想を首を左右に振って振り払う。チャレンジする前に失敗後の算段を妄想するだなんて、勝てない勝負と決めつけているようなものじゃないか。
それでも、独自の立案で企画の柱を樹立せにゃ、編集部サバイバルゲームに不利であることは明らかだった。
時代が求めているのに今の誌面に足りないもの。それさえ掘り当てれば企画になる。通るか通らないかは編集会議の席で採決されるが、企画案を提出しないことには議題にさえのぼらない。
翌週の編集会議に、『怒りの鉄槌』という企画を潜り込ませた。文春砲で揺さぶられる腹の黒さや、癒着による不平等、権利もないのに振りかざされる間違った正義や自分ファーストのオーナー企業。不正やズルは、正直者が馬鹿を見たくない正義漢の怒りを買う。そしてその怒りの発現は究極、主張の衝突が生む火花である。どちらに分があるかといった課題は残るにせよ、双方の言い分は屈折したものまで含めるとすべてが正論だ。
そこに真っ向勝負で臨める主張はない。
だから漫画で茶化す。
これが企画の趣旨だった。
「先生にあたりはつけてるの?」
編集会議の席で編集長は食指を動かした。「名前は知られているけど、漫画家としては化石だからなあ、微妙なところだけど、読み切りで1回やってみるか」
あたりはつけてあった。感触も悪くはなかった。不安は残るも期待もある。やるしかない。
段取りを決めて、こなして、リリースとあいなった。
たった1回の読み切りがすこぶる評判がよく、とんとん拍子で隔週の連載が決まった。
「やりましたね、先生。おめでとうございます」
隔週とはいえ、テーマ決めから構成案、ラフ、ネーム、ペン入れと続く工程には、ゲラチェックから責了までの一連が実のギュッと詰まった秋の果実みたいにセットになっている。途中、当然のことながら編集長チェックが入る。大幅な変更を余儀なくされると、スケジュールが一気に押してしまう。息をつく間などなかった。
「毎週じゃなくてよかったあ」
先生はギリギリ調整できる隔週刊の連載ペースの辻褄を、必死に合わせようとしていた。
連載が始まり2か月が過ぎた。読み切りであれほど話題をさらった企画なのに、連載化されたとたん、サクラがいなくなったみたいに評判の波がなりを潜めた。
もちろん初回の読み切りであざといことなど仕組んではいない。新企画に読者が純粋に反応した、その結果がよかったのだ。なのに。
企画の人気具合は、人気ランキングで「とてもよかった」「よかった」の評価を集めただけで測れるものではない。「とても悪かった」「悪かった」を同時に獲得できなければ、人気は出ない。良くも悪くもどれだけ読者の心に食い込めているかが問われる。カレンダーの好みのアンケートの例もある。「来年のカレンダーにあなたが期待するものは?」。問われた答えのトップは決まって「風景」なのだが、いざ蓋を開けてみると、実際に売れていくのは個性が強いものからなのだ。「なんとなくいいかな」程度の企画に、読者は心をつかまれてはいない。
さらに1か月が過ぎた。人気のバロメーターの針は、鈍く低空で揺れているだけだ。記事の人気ランキング結果を凝視する編集長の目にも苛立ちが目立つようになった。その苛立ちが伝播する前に、先生は焦燥を顔に顕すようになった。『読者に響いていないのか?』口にこそ出さなかったものの、打ち合わせで合わせる先生の顔が如実に切羽詰まった本心を吐露するようになった。
嘘をつこうと思った。このままでは作品が縮こまってしまう。伸びやかに笑い飛ばせるからこそ意義があるのに、痛快さを欠いた内容では読者を腹の底から笑わせることはできない。読者の顔色をうかがうような太鼓持ち漫画にしてはいけない。
打ち合わせ後、編集部に戻って先生に電話をかけた。
「お待たせしました! 先生、今週号の企画、受けてます。反応が今までとは桁違いです!」腹に力を込めて、高揚を演じた。
手元にある人気ランキングの結果は、相変わらず鈍く低空で揺れていた。だけど、今週号の構成は巧みに怒りを茶化せている。これまでの中でも会心の出来であることは、担当として胸を張れる。
「ほんとですか?」
先生が受話器に食い入って訊いてきたのが目に見えた。
「間違いありません」
しばし沈黙が続いたのは、先生が連載が決まってからの道のりをなぞったからだろう。苦節、と呼ぶには3か月は短かすぎるのだろうけど、その3か月は先生にとって、3年、30年に匹敵する。
作品は、当たらなければ連載途中でも火のついたアルコールランプの芯に蓋をするみたいにして消されていく。かつて大ヒットを飛ばした大御所とて例外ではない。
「よかったあ」まるで氷山が氷解するような安堵が受話器を通じて流れ込んできた。
翌々週、人気ランキングの結果が出た。「とてもよかった」でダントツ。「とても悪かった」でもダントツ。隔週の連載は1年後に週刊化され、先生はさらに多忙を極めることになった。
担当を続けさせてくれる限り、編集部に同列のライバルはいなくなった。唯我独尊の世界を深められる道は、木村部長の選んだ道では味わえない蜜がある。
だからといって奢るような真似はしない。社会の潮は瀬戸内の海のように頻繁に入れ替わる。そのことはわかっているつもりでいる。きっといずれ木村部長の道に寄せてもらうことになるのだろう。でもそれまでは、花形の仕事の波の頂点に乗っていたいと思う。
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