【楽器の手招き-2】ファイフ
高校の先輩が吹奏楽部で、彼はフルートを吹いていた。彼に憧れていた女子は何人か知っていたけど、私は枠の外。シャイでスマートで部長さんをやっていたくらいだから成績も良かったのだろうけど、私には線が細すぎた。何度か話したことがあって、気遣いは先まわりがすぎるほど丁寧で、先輩を好きになる娘は、そんなところに惹かれていたんじゃないのかな。よく言うじゃない、ないものねだりって。がさつな娘ほど、上げる熱の温度は高かったように思う。
見た目も悪くはなかったよ。良いか悪いかに分ければ、文句なしに良いほうの部類に入る。
私がだめだった線が細いというのは、ときめくものがなかったんだもの。だって、ほら、恋愛はドキドキしたいでしょ? 何が起こるかわからない奇想天外な展開に、乙女は幻影を膨らませていくものなのよ。あれをこうしたらそうなってって、確定していない未来をシミュレーションしていく時の楽しさったらないわ。どんなことにだって、可能性が広がっていくのよ。すごいことじゃない?
私は、刺激をくれる人じゃなければときめかない。優しくて私を大事にしてくれるだけじゃだめなの。物足りなくって。出世しないサラリーマンと結婚するのと同じくらい嫌だった。そうよ、高校時代から私は結婚相手に刺激を与えてくれる人をシミュレーションしてた。
あの時はあれでよかった。だけど現実は幻想とは別のところにあった。絵画の本物でも旅先でも、ふれる前とあとでは受ける印象って違うじゃない。本物に接触すると、それまで描いていたイメージが、がらがらと崩れ出すの。こんなはずじゃなかった、くらいのギャップを喉元に突きつけられる。さんざんそうした思い込みと現実との乖離に出会ってたはずだったのに、物事のセオリーを意識することがなかったのね。人生、後悔したあとでなければ、物事の本質をつかめないようにできているのよ。
卒業後就職してもなお、現実を直視しないまま私は結婚に胸踊る刺激を求めていた。
「アメリカで暮らさない?」
暮らしは?
「どうにかする。一緒にいてほしいんだ」
誘われるままに私は印刷会社の営業職を辞め、3か月後にはロスアンジェルスにいた。レドントビーチが近く、ハイウェイを使えばサンセットブルボードまで1時間もかからない。渋滞に巻き込まれなければの話だけど。南に走ればサンディエゴ。ティワナはそこからすぐのところにあった。
映画も午前中に観れば日本の4分の1の料金だったし、マーケットに並ぶ生鮮食品は雑誌の取材で連日混み合いそうなほどお洒落だった。空は底抜けに明るく、桟橋からサーファーを眺めて時間を潰すこともできた。
アパートは彼が用意してくれていた。日本人が多く住むロスの南側。ガーディナという町。ダウンタウンからは少し離れていたけれど、道が整然と走っていて、車は家の前の道路に停めてもお咎めなしの寛容なところ。停めたらすぐにレッカー移動なんていうどこぞの国のせせこましい了見は少しもなかった。
アパートは2ベッドルームで、小さいながらもバックヤード付き。
彼は、アメリカ人の経営するSUSHIバーで寿司を握ることになったから、と午前中に出かけていっては夜遅くに帰ってくる毎日を過ごすことになった。
ある日「日本のエリートを相手にするクラブがあるんだけど。日本人女性を探しているんだってさ」と言われた。彼が私の働き口を見つけてきたのだ。
毎日、観光でもないから、私はその話に乗った。だけどしばらく厚化粧の日々を続けていたら、あれ? 何か間違ってない? と思い始めた。
3年、アメリカで暮らしたかな。惰性ってやつでね。惰性って厄介だよね。いちど転がり始めると、軌道から抜け出すのが億劫になってきて、ずるずる行ってしまう。
ずるずるの毎日にも飽きて「そろそろ日本に帰るか」と言い出された時、私は気怠くそうねと答えていた。
そのようにして帰国したのはいいけれど、彼は日本でもお寿司屋さんで働くことになって。いい年こいてそれ以外のことができないんだって現実を見たら、膨らんでいた幻想も、少しずつ萎んでいっていたにせよ、すっかり冷めちゃって。
私にとっちゃ、失われた3年。彼はハナから人生を捨てていたのね。その奔放さを生きる活力と私が勝手に取り違えていたことがわかって。
別れたわ。
そんな時に思い出したのよ。吹奏楽部の先輩のことを。彼は今ごろどうしているだろう、今でもフルート吹いているのかなって。
そういえば、私の趣味嗜好に、これまで楽器というものは入っていなかった。楽器のこと、何にも知らない。ふれたのは授業で教えられた三種の児童向け神器。カスタネットにハーモニカ、そしてピアニカ。本格的な手ほどきは受けたことがない。
ふと、フルートを吹く先輩の、流れる旋律に体をそよがす姿が浮かんだ。先輩だったら、生きたいままに生きて未来の芽を摘むような生き方に私を巻き込まなかっただろうな。でも、私を選んでくれたかな。選ばなかったのは私のほうだったのだけれどもね。
いちど、先輩のフルートの吹き口に唇を当ててみたことがあった。
「吹いてみる?」
先輩がそう私に訊いてきたのだ。音楽室に2人きりだった。
吹いたことありませんから。そう言って断ったけど「僕が教えてあげる」と言われたから。そのお人よしさに呆れてしまったから、少しからかってやろうと思って。
「吹き方さえわからないんですよ」
すると先輩は唇を横に結んで吹き口にあて、音階をするすると上らせてから降りてきた。
「こんな感じ。唇の形が大切なんだ」
はい。わかりました。
先輩はフルートを私に手渡し、ちょっと待ってと言った。ウェスで吹き口を拭うために。
私は先輩がフルートのケースからウェスを取り出すのを確認した。じきそのウェスで吹き口を拭いにかかる。
「ちょっと貸して」
先輩は私に預けたフルートを受け取るのに手を伸ばしてきたけれども、私は彼の要望には応えずフルートを顔の高さまで上げて唇を吹き口にあてた。吹き口に残っていた先輩の感触が唇を伝って入り込んできた。
間接キス。
「あ」
固まった先輩が、五右衛門風呂が足元から水を熱するみたいにしてみるみる紅潮を頭のてっぺんまで染めていった。
音をうまく出せなかった。音が出なかったと言ったほうが正確だ。
「先輩、音が出ません」
無垢な乙女を演じ上目遣いで見やった先輩は、私を直視できず目を逸らしてしまった。
うぶな先輩だった。
あの時は音を出すことさえできなかった。
やってみようかな、フルート。
ネットで調べると、メーカー品でなければ無駄金を使うことになるとアドバイスしている。でも音を出せなければ、いいものを買っても余計に無駄金を使うことになる。
ピッコロも、可愛くていいな。気の迷いはあったけれども、はやり中途半端なものではよくないらしいことがわかった。
まずは横笛で音が出せるかどうかが問題なのだ。
私はファイフなる楽器を見つけた。樹脂でできたリコーダーの横笛版だった。大きさはピッコロほどだが、成り立ちはアジアの横笛が起源らしい。
マネの『笛を吹く少年』が手にする楽器もファイフであることが判明した。
ネットだと、ヤマハのファイフが1000円ちょっとで買えることがわかった。
さっそくAmazonで注文。音が出せたらフルートに挑戦だなと密かに企む。
それでも、心配だった。これから先のこと、楽器のこと。私は今ごろになって、先輩だったらよかったのにと、後悔に和音を重ねるみたいにして気持ちの音色に寂しさを乗せた。