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潮流は作られている。

ーーカヌレが来ますね。ーー
ーートゥンカロンが人気です。ーー
 
 テレビやネットで、灯された火種が風を受けて広がっていく。円安にしても、専門家が「しばらく続きそうですね」と発言すれば、行きもしない海外旅行に「しばらくは行けないなあ」と落胆色が広がっていく。
 
 潮流は作られている。
 
 さも世間が流行に染まってしまうように報道は導く。ブランドは戦略によって仕掛けられたものでしかないのにね。
 
 かつてルーズソックス広がったし、ヴィトンは今でも人気だ。潮流には短期もあれば呑気や活気もある。そして人はいつだって目にした渦潮に飲まれていく。
 
「多くの人」「ナットウキナーゼ」「健康志向」と単語が連なれば、魅力の魅惑が虚像を構築し、人に夢を見せる。覗く鏡に「世界でいちばん美しくなれる可能性は、ナットウキナーゼにかかっている」と信じ込むようになる。いちど信じたら最後、暗示は人を変え、「有名人のあの人も使っているなら」と安心材料を得たりなんかして、納得のうちに信者の層を広げていく。
 
 そこで天邪鬼がいじわるばあさんの着ぐるみかぶり顔を出す。で、何パーセントの人がその虚に傾倒したのじゃ? ほんのひと握りにすぎないじゃろ?
 
 売りたいがための商品は、販売者のご都合主義が売り言葉の裏側に身を潜ませている。斜にかまえるいじわるは、保身の本能だったのじゃ。
 
 飽食の時代が終わって、無駄なものを削ぎ落とす断捨離を経て、ミニマリストが登場した。時代の変遷はそのように定義されている。
 ではどれだけの人が飽食に飽きて、無駄なものを抱え、ミニマリストになったというのだ? 報道はあたかも「社会が全体で傾倒しています」然と胸を張るが、周りにゃ一人も該当する人物はおりゃせぬぞ。
 少なくともあたしゃいちども飽食にありついたことはないし、断捨離するほど抱えた経験したことないし、ミニマリストに憧れたこともない。
 
 潮流は創られている。夢を見せ、泳ぐ魚を一匹でも多く釣り上げようとしている。釣果を上げるためなら嘘も方便と平気で思っている節がある。
 
 IHIにしても政治資金の裏金で窮地に追い込まれた政治家にしても、乗った潮流でいい思いをし、潮流に暴かれた。潮流は人を弄ぶ。気まぐれに、局所的に。
 
 潮流は変化で、上澄をすくうからくりだ。波風おこして人心をざわつかせ、うまいこと財産を掠めとる。その容姿はラクレットを想起させる。仕掛け人はヒーターという潮流に獲物を誘い込み、熱風で溶かして美味いところをスプーンでこそぎ口に運ぶ。利益を得るために、いつだって揺さぶりをかけてくる。
 潮流は流動だ。

 世に普遍なものなどありはしないのかもしれないけれど、できるだけ普遍に近いものに囲まれてひっそりやっていけたらなと思う。波に飲まれなければ、翻弄されることはない。少なくとも煩わしさは極度に減らせる。

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