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ワインとオートバイ。

「明日の通夜は黒いので行くか」
 とっくに決めているはずなのに、審美眼で骨董の価値を見定めるみたいにして貴方は浮気な目線を一点に絞り込んで見せる。黒のブラックバード。
 片道550キロの道のり。「ドア・トゥ・ドアなら、新幹線よりこっちのほうが早いさ」
 ホンダの叡智と意地を見せつけた並列4気筒1137cc、164馬力のエンジンを積むCBR1100XXは、軽量化された車体を時速290キロの世界まで力づくで引き上げる。
「気をつけてね」
 安全を祈願せずにはいられないが、いちどバイクに乗れば無事帰宅するまで気は休まらない。花壇の上を彷徨う蝶が心であったなら、あれほど心情を映す鏡はない。
「わかってる」と貴方は返す。だけどその言い方、ちっともわかってくれてない。

「今日はFLH-TCで決まりだな」
 2人旅は決まってハーレーのツーリングモデルだ。背もたれ、肘掛け、リアシート専用のオーディオを装備した、2輪だけど究極のオープンカー。
「暑いんですけど」。残念ながら車と違ってエアコンはついていないので、真夏の日中は地獄だ。
「じゃあ、少し飛ばすか」
 そういう問題ではない。いくら飛ばしても完璧すぎるフェアリングは高速の風圧を弾丸を避けるみたいに交わし続けるし、貴方の大きな背中が邪魔をして、風を避けるどころか景色の半分も遮られてしまう。そして何より、普段の走り方を垣間見るようで、飛ばして欲しくはなかった。

「明後日からソロキャンプに行ってくる」
 バイクに乗る貴方は、心に流れる気流に任せて、精神の風見鶏が向くほうに走り出す。お立ち台みたいな荷台にタライを四角くしたような巨大なボックスをくくりつけ、中に調理用品と食材、着替えと電子機器を整然と並べていく。貴方はそのきれいに収納された形而上学的な機能美の妙に満足し、嘆息で自らに賛辞を送ると蓋を閉め、その上にテントやらタープやらをプラミッドみたいに積み上げていく。
 貴方がキャンプに行く時は、CT125 ハンターカブ一択だ。荷物を積むと、パーフェクトな1人乗り。貴方が乗ると、運搬用車両についでに乗せられたぬいぐるみに見えなくもない。
 滑稽だけど、それを口にしない。口にしてしまうと「じゃあ、滑稽じゃないキャンプ用バイクってなんだろう?」と新たなバイクへの熱に火がついてしまうから。
 私をキャンプに連れてって、なんてことも迂闊には口にできない。そんなお願いをしようものなら、2人乗りのできるキャンプ用バイクを買ってくるに決まってる。

 北海道は、幹線道路も未舗装路も走れるから、という理由でBMWのGSで出かけていくし、隣町のカフェへはスラクストンで出掛けていく。

 ガレージには、ST70と書かれた小さいのとST125のラベルが貼られた大小2台のダックスがある。ほかにも、スヴァルトピレンなる近未来的デザインのも。

 かつてお巡りさんが巡回に来た時「バイク屋さんですかぁ」と間の抜けた顔で訊かれたことがあった。
「違いますけど」
 貴方は否定したけど、お巡りさんがバイク好きであることがわかって、以来、彼の来訪を心待ちにするようになった。

 テイスティングするように、貴方はバイクを選んできた。そんな貴方を見ていると、バイクはワインなのだなと思う。作られた年代の、どの畑で作られたのか、諸条件で変化する出来不出来を見極めて、コレクションしていく。集めずにはいられなくなる。

 でも貴方はお酒は一切口にしない。ワインにたとえても、きっと貴方は「はて?」と首をかしげるだけだろう。

 私は、貴方を止めない。止める行為が愚行だとわかっているから。
 貴方も私を止めない。貴方もまた私を止めようとすること自体が無駄だと知っているから。
 私は私でワインを選び、コレクションを増やしていく。オートバイの車庫の地下に拵えたプライベートのワイン貯蔵庫。そこにこだわりの1本をまたひとつ。
 貴方がエンジンをかけ走り出していく姿を、私はワイングラスを掲げて見送る。
 ひとつ夢を見れば花開き、そして新たな夢が湧くのを待つ。
 夢は尽きない。
「気をつけてね」
 私は、貴方の夢と私の夢とに乾杯する。チアーズ。




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