100年生きる猫。
人間じゃなくてよかった。
人間だったら、大騒ぎしているところだ。人様のものをかすめ盗ろうなんざ不届き千万、時代劇中なら叩っ斬る大役を仰せつかっていたかもしれない。
おいらが大人であったことも幸いしている。若いうちは動くものすべてを追いかけていたからな。ミクロな生き物はおいらの肉球ひと粒でプチッ、だったよ。
ゆとりをもって生きていなけりゃ、こんな寛容生まれはしない。今じゃ生き物みな兄弟の精神さね。
次郎長じゃないけれど、カリカリ食いねえ、持ってきねえ。おまえさんたち蟻さん一家ニャア、一生食っても食い切れめえ、この量は。
振り返れば、裸足で追いかけられてたあのころが懐かしいよ。生魚もいいけれど、いちどカリカリとチュールの味を覚えたら、もう元には戻れない。
それに夏は涼しく、冬暖かい。こんなおいしい生活が待っていたなんて、昔は想像すらできなかったさ。冬に炬燵で丸くならずとも、太陽光パネル発電で家中セントラルヒーティングなんだもん。技術の力ってすごいよね、裸足で歩いても指先が冷たくならないんだぜ。当時のサザエさんが気の毒だ。
巷では『100万回生きたねこ』が少し前にもてはやされたようだけど、やつは何年生きたのかねえ。1日に10回死んだって、1万回死ぬのに3年弱かかる。100万回に届くには300年弱という計算だ。長生きだねえ。短命もチェーンのようにつながれば長生きと呼んでいいのなら。
おいらかい? 人間も100年生きる時代になったんだ、ちったあ長生きしたいねえ。次の100年まで、ってのではどうだい?
そうそう猫が100年生きると尾が二つに割れると言われているんだぜ。本当に二つに割れるのかな? 年末の誕生日、迎えるのが楽しみさ。
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