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最後の10人目になってあげる。

 努力が報われない。それとも努力はもともと報われないようにできているものなのかな。頑張れどがんばれど、伸ばした手が届くべきところに届かない。

 こんなことってある?

 別に高望みしているわけじゃない。10人のうち9人が座れる椅子取りゲームで、いっつも10人目の着席者。いや、9個の椅子は取られたあとだから、座るべき椅子が残っちゃいない、だから着席できるわけじゃない。そして僕はそこで立ち尽くし、途方に暮れることになる。決して高望みではないでしょう? なのに、9個目の椅子にさえ手が届かない。

 これって、鈍臭いからでしょうか。一人の落胆者を横目に、私を除いたほかの9人はほっと胸を撫で下ろしてる。

 私はみんなを安堵させる役回りなのでしょうか。

 でもたまに、だけど、椅子に座れる9人の一人に入ることがある。だけど素直に喜べない。傍で座れず肩を落とす人がいるってことだもの。その立ち尽くす人の憂いが気にかかり、私の心を釘で刺す。座れなかった人に刺されるのじゃない。過去に座れなかった私が座った私に問いかけてくるのだ。9席目は、立ち尽くした人の犠牲の上に存在している。良心がやいばとなって私の手に握られている。刃先が狙うのは私の心臓だ。私は自分の手で剣を握り、それから狙いに狂いがないことを確かめてからこの胸に突き立てる。

 10人で9席用意されたふるいは、きわめてゆるい篩といえるだろう。人気大学の倍率なんかとは比べ物にならないほどゆるゆるだ。だって10人に9人が当たりくじを引くんだもの。
 それでもふるい落とされる者が出る。ほとんどは篩に残るのに、落とされるのが少数という点が気に食わない。ゆるい篩は、多くの人に安堵を与えるが、10人のうちの一人になると災いの渦は底辺を知らずどこまでも巻きながら落ちていく。孤独に一人寂しく落ちていく。

「二人に一人が当たります」などと、さも万人に幸せを振りまいているふうを装うメーカーの、良かれと思ったゆるい篩の当たりくじが、どれだけ振り落とされた者を傷つけているのか、考えたことはあっただろうか。ゆるい篩にさえ引っかからない自分でどうなのよ、と卑下に走ることを考えたことはないのだろうか。駆ければドンジリになるっていうのに、孤独の卑下は競争にさえならない。単独最下位、マイナスの首位をキープし続ける。後続者は、いない。

 もしアナタが報われない努力に無駄足を運ぶ運命の星の下に生まれたと思っているなら、いつでも私の門戸を叩きにいらっしゃい。なんてったって世界一運の悪い私だから、最後の10人目になってあげる。


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