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人は誰かを愛し、何かを同時に愛するもの。

 人は愛する生き物だ。誰かを愛し、ペットを愛し、好物を愛し、趣味の対象物を愛する。芸術を愛し、贔屓の音楽家の楽曲を愛し、超多忙になると自由に恋する。

 もうずいぶん前の話になるけど、破天荒と呼ぶには小粒の、傍若無人な男がいた。アメリカに住みたいと思えば、彼女の旅費を用意し、実行に移した。アメリカで生きていくために寿司屋でバイトをした。仕事はなんでもよかった。アメリカに住むことが目的だった。
 その後、どんなことがあったか知らないけれども、訳があったのだろう、破天荒と呼ぶには小粒な男が彼女を連れて日本に帰ってきた。
 その男と、とある喫茶店で知り合った。
 今度はオートバイに乗る。男はそう言って1340ccもあるハーレーダヴィッドソンを全額借金で買ってきてしまった。いちど欲求が高まれば、後先考えずに実行に移す男であった。
 後ろには、決まってあの彼女を乗せていた。
 帰国後も男はアメリカを愛し、ハーレーダヴィッドソンを愛した。バイクはアメリカの残り香をかぐわせるためのものだったのかもしれない。そしてその愛し方はどれも徹底的で、彼女への愛も同じように強烈だった。

 男の破茶滅茶ぶりが自由奔放と重なって見えたのは、若さが縁の下で支えていたからこそ。年をとり、顔に皺が増え、彼より年下が社会に我が物顔で跋扈し始めると、彼はメインストリートから外れ、意図せず横道に逸れていくようになる。いい年をして寿司屋のバイトでは立つ瀬がない。彼の存在が次第にしょぼくれて見えてくるのも時間の問題だった。若さはボロを覆う隠れ蓑だったのだ。いや、若いうちは誰もがボロだ。ボロのうちにどうにかしておかないと取り返しのつかないことになる。そのことに破天荒と呼ぶには小粒な男は気がついていなかった。
 彼女は、自由奔放で逞しく振る舞う男が頼りありげに見えるところが好きだった。だけどだんだん見すぼらしくなっていく男を見て、思い描いている理想に翳りが出始めると、男は女の心の迷いをいち早く察知して、女にすがるように懇願していくことになった。
 見切りをつけられるまで、流星の如し速さであった。

 元来美貌の彼女は、ずっと破天荒と呼ぶには小粒な男と一緒にいたので、男の免疫力はそう高くはない。彼女の高くせり上がった鼻筋は清らかで澄んでおり、全体像の美しさはグラフで示せば美人に思い切り振られている。なのに、ちやほやされる女にありがちな男をあしらうプライドは育成されていなかった。美人なのに人柄がいい。好かれることのほうが圧倒的に多く、否定派は決まって嫉妬が絡んでいた。

 彼女は、破天荒と呼ぶには小粒な男に誘われるまま、喫茶店でカフェ・タイム楽しんでいた。その店にはカントリー・ミュージック・バンドのバンジョー弾きが客として来店する。幾度か来店が重なったことで見知っていた。
 言葉を交わしたことが何度もある。バンジョー弾きは破天荒と呼ぶには小粒な男が乗るハーレダヴィッドソンと同じエンジンを積む車種違いのバイクに乗っていたことで、破天荒と呼ぶには小粒な男がバイク談義を誘うたびに席をひとつにして横で話を聞いていたことによる。時に口を挟み、バイクの専門話は難しいからわからなかったが、機転の良さで場を盛り上げ、笑いをとり、共に笑った。

 話をするうち、バンジョー弾きは安定しているとは言えなけれども選んだ道をブレずに歩む男で、実直でユーモアを巧みに編めるセンスを持ち合わせていることを知った。背も高いほうで、甘いマスクをしている。悪くない。
 消えた恋の炎が再燃するのに時間はかからなかった。

 バンジョー弾きはバンジョー弾きで、駅舎の陰からそっと見つめるみよちゃんのように、彼女のことを遠くから慕っていた。美人で気負いがなく、一途であることを会話と普段の立ち居振る舞いを通して知ってしまったからだった。慕っていたけれども、間男になるつもりも、略奪愛に走ることもなかった。なにより平和を愛する男であった。

 だが、彼女が解き放たれ、自由になったことを知る。それでも破天荒と呼ぶには小粒な男の立場もある。見知った程度の仲であったが、バンジョー弾きの男の前に立ちはだかる巨大な壁として進む歩を食い止めていた。

 女は、素直だった。私じゃだめですか? 謙虚で健気だった。そして、やはり一途だった。
 それまで保っていたバンジョー弾きの男の制御の堰が崩れた。貯めた水が周囲の街を惨憺たる状況に変えてしったみたいな顔をして、僕でよければ、と男は応えていた。

 破天荒と呼ぶには小粒な男は以降、店に顔を見せなくなった。客足は川が流れを変えるように入れ替わり、新しい顔が目につくようになっていった。
 バンジョー弾きの男と彼女は健在で、今でもかつての煌めきを喫茶店に放っている。
 バンジョー弾きの男はカントリー・ミュージックとハーレーダヴィッドソン、そして彼女を愛した。彼女はバンジョー弾きの男と新しく趣味に加わったカントリー・ミュージック、そして彼の乗るハーレーダヴィッドソンのタンデムシートを愛した。

 人は、誰かと何かを同時に愛する。同時に何かを愛さずにはいられないのだ。
 破天荒と呼ぶには小粒な男は今は誰を愛し、何を愛しているのだろう。願わくば、別れたあの彼女に未だ精神がしがみついていないことを祈るばかりである。

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