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終戦は繰り返される。

 父は傷痍軍人に、持てる小銭をぜんぶあげた。軍人の片足はあるべきところになく、埃でくすんだ包帯があの世を拒絶する結界に見えた。あちこちをぶつけて傷とへこみと土埃にまみれた空き缶に入れられた小銭は、体に似合わず重い音をたてる。光を吸い込む暗い洞窟が缶の底に仕込まれているみたいに妙にくぐもった音で、落ちたら最後、二度と這い上がれなさそうな響きを周囲に一度だけ広げて消えた。

 兵隊さんの帽子を目深に被った軍人さんは目をあげることなく頭を深く下げる。その頭が再び上がるまで、弾いていたアコーディオンから流れる曲が止んだ。世界を悲しみの淵にまで連れていく軍人さんの曲は、音が止んでもなおとり返せない過ちに悲嘆する言葉にならない声を振り絞っている。その同じ声の渦の中にいるのに、父と軍人さんは、お互いに出会うことのなかった戦場の、救い損ねたそれぞれ別の戦友に最後の手を差し伸べた。2人の記憶は、差し伸べた手が何も掴めなかったあの時と同じだった。広い意味での戦友であっても、思い出は未来永劫交わらない。共有できないほど、多くの友が死んでいった。

 アコーディオンの音符が追憶にすり替わっている間中、夏の日差しに喘ぐ軍人さんの荒い息遣いが現世に漏れ出ていた。エゾゼミが遠くでがなっている。セミは、戦争を知らない。あのオスは今日で何日目のセミだろう。戦争は、生き残った人々にとって足かけ7年の苦節として残った。セミは7日間の命の中で、死んでしまうとも知らずに天寿をまっとうして生の時間を閉じる。いつだって記憶を受け持つのは生き残った者の役割だ。割に合うか合わないかというベクトルは当てはめようもないが、人は負の遺産をもきっちり残している。

 父は「お国のために頑張った人たちなんだよ」と言った。
 お国のため? と僕は訊いた。終わった戦争をまだよく理解していなかった時分のやり取り。

 終わったはずの戦争が、終戦という言葉で蘇る8月。記念日としてずっと閉じこもっているはずの戦争は、終戦のまましまっておけるうちが花なのか。

 昨今、不穏な空気が流れている。終わらせるための戦争が始まろうとしているような。緊張は高まっても、均衡は破らないでいてもらいたい。

 大人になった自分が、傷痍軍人に持てる小銭をぜんぶあげるシーンが浮かびはじめ、浮かび上がりきる前に打ち消した。持てる小銭をぜんぶもらう側にもまわりたくなかった。

【「青い100円札は、どんな人が入れたのだろう?」
迂闊にももったいないと思ってしまった幼心には、目の前にある現実の原因まで思考を遡らせることはできなかった。
終戦は毎年やってくる。繰り返していくうちに、深みが見えてくる。
きっとこれからも、新たな気づきがあるのだろう。
終戦は、終わらない。】

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