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守る側の潮流。

 お年玉をくれてた叔母にお年玉をあげた。初めてのことだった。新年にもらったお年玉をかき集めロンダリングしたのじゃない。稼ぐようになった僕が、とうにリタイアした者へ。高いところにある水が低地に向けて滑り出すようなものだった。立場が逆転した記念の年になった。

 人は長いこと守られながら育つ。
 立ち上がるまで。
 大人になるまで。
 社会に出るまで。
 一人前になるまで。
 無事社会を卒業するまで。
 人生を卒業するまで。

 人は、息絶えるまで誰かに、そして何かに守られながら育つ。

 ずっと守られっぱなしだけど、ひとつだけ向かう先が逆流する地点がある。『守る』比率が『守られる』比率の背丈を追い越す時だ。
 いちど逆転劇が起きると、次の逆流ポイントまで引き返すことはできない。守られてきたことであふれた包容力を、こんどは誰かのために存分に発揮しなければならなくなる。順番が巡ってきたのだ。好むと好まざるとにかかわらず、順番は必ずまわってくる。
 強制力はなく任意の制度だけど、ほとんどの場合、人はこの潮流に乗る。
 このようにして僕はその潮流に乗った。そして最初に守ったのがお年玉をくれていた叔母だったというわけだ。

 叔母を身を挺して守ったわけではないのは言わずもがな。守られる側から守る側へ立場が変わったことの布告のようなものだった。

 人は、受ける守護の器を満たすとこのように、こんどは守護の手を外の世界に向かって広げるようになる。
 このようにして連綿と血統の縦軸が紡がれていく。人類みな兄弟を唱和しながら平穏な世を編むようにしていく。

 あの巨大津波を想起させる天変地異が北陸で起きた。奇しくもお年玉授受の儀が執り行われる大事な年の初日に。あの巨大津波の時は諸々の事情が絡み合い『守る』ほうの手が発動しなかった。
 今回は?
 手弁当を持って向かうか?
 やれることはあるのか?
 やるべきこと、できることはあるか?
 足手纏いとなる手は差し伸べるべきではない。
 求められるものはなに?

 手も足も出せず、今は悶々とするばかり。打つ手の手がかりを見つけようとしている今この瞬間にも、守られてきたものが音をたてて崩れていくというのに。

 現状把握が後手にまわっている。
 早く、確かな情報を。
 僕は今、守る側の潮流にいる。

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