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眠れる幸せと覚醒できることの幸せ。

 朝元気で行けるのは、たっぷり眠れているからさ。6時間を切ると微妙に元気に翳りが見える。覚醒の道すがら、こっくり居眠りなんぞもしたくなる。
 だけど8時間の大台に乗ってくれば、元気の腹持ち1日続く。朝だってベッドで木立が空を向く。

 眠って育つ幼少期、1日の大半を眠って過ごす。
 眠ってばかりもいられなくなる就学期、最初のうちは張り切ってランドセル担いで家飛び出すけれど、義務教育の第二弾ロケットが噴射するころにはマンネリに包まれて、朝の寝床が二度寝の温床、目覚まし五月蠅し、親の「起きなさい」ああ煩わし。
 社会に出れば出たで、残業続きもなんのその、出社時間に合わせてきっちり責任果たします。寝不足が引き起こす眠気まなこの就業時間、それでも就労規定どおり、限界ギリギリまで残業こなして残業代を稼ぎます。

 ああ、眠たや、眠りたや。寝不足続けば食は細るし、便秘はするし。お肌は荒れるは、気力も廃る。朝も木立は空を仰いでくれませぬ。

なんならずっと眠らせてやろかい?

 天の声。聞こえるはずがないのに耳にしてしまったら、それはそれで一大事。現実に起こればなお一大事。二重になっても一大事。

 永遠とわの眠りについたなら、もう二度と目覚める苦しみ味わえません。給料日を心待ちに指折り数えることもできません。朝の木立に安堵して元気な自分を喜ぶこともできません。

 差し迫ってくると、朝がやたらと早くなるという。カウントダウンの残された日々を惜しんで、少しでも長く目を開けていたくなるからかもしれないね。
 逝くまで生きる、死ぬまでは。
 差し迫らなくたって、残された時間は紛れもなく減っていく現実に気づいた時、覚醒の時間が愛おしくなった。その愛おしさをしっかり受け止めていきたいと思った。受け止めるためには、寝不足でぼやぼやしているわけにはいかない。しっかり眠って、研ぎ澄まされた意識で臨まなければ。

 かくして今日もまた1日8時間の惰眠を意識の内で快眠にすり替えて、わりとまっさらな1日を、たいした意味を加えることなく無駄に過ごしていく。

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