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チョコレートとエッセイ、それから苦いもの

 昨日は久しぶりの長文にうきうきしながら寝床につきました。
「やった!久しぶりに書きたいと思って行動に移せた!これは自分の中でとても良い進みだ!」と!がいっぱいつくほど嬉しくてちょっと興奮気味にお布団に入ったのでした。
 その興奮は翌日も冷めなくて。好き勝手に書いた文だったけれど、みなさんからのスキが予想以上に嬉しかったんです。読んでくれてありがとうって。

 それで今日も子ども達と過ごしながら空を見上げたりしていたんですよ。
 北国の春は暖かいと言っても6℃くらいでね。日差しは暖かいんだけど風は思っている以上に冷たいんです。
 子ども達はお家の周りを走り回っているから顔がぽっぽしていてね。まだまだ冬用のコートだけれど走っていたら暑くなってきたのか額に汗をにじませたりしてね。
 そんな姿が眩しいな〜。やっと春になったな〜。子ども達が遊ぶのをただ突っ立ってみているのはしんどいな〜とか思いながら、書きたい気持ちをパンの発酵のようにお日さまの暖かさをいただきながらふわふわ膨らませていたわけなんです。
 それで終われば今日の私の1日はとてもほのぼのしていてほんわかした焼きたての丸パンのようなお話で終わったんです。こんがりふわふわな、あつあつな美味しい物語に。それがね、美味しいだけで終わらないのが子育てというものなんですね。

 それは末っ子とお昼寝が終わって寝室からリビングに降りてきた時のことでした。
末っ子がお昼寝中は長女と次女のゲームの時間と決まっています。お互いできる時間が決まっていてその時間タイマーを設定してゲームをしています。いつも決まって1時間40分。今日もそのはずでした。しかし、お昼寝から戻ってきても子ども達がゲームをしている姿がありました。

「もう終わってる時間なのにどうしてこの時間までゲームしているの?」
「知らない!わからない!」
「どうしてって聞いているだけなのに答えられないの?」
「タイマーをつけ忘れてて途中からつけたから何分やっているのかわからない。」
「やり始めた時間から考えたらもう終わっている時間だよ。」
「だってわかんないんだもん!」

 人間誰しも忘れてしまうことはあります。それは仕方ないことだと思いますし、私だって何かを忘れることはよくあります。それについては次から気をつけよう、対策を一緒に考えよう、で済む話です。
 私は子ども達が悪いと思ったことを隠そうとしたこと。そして開き直ろうとするその態度にがっかりしたのでした。
 子ども相手に大人気ない、そう思われても仕方がないと思います。ですが時間を守ること、約束を守ることを私はとても大切にしていただけに、顔から全ての表情が消えているくらいの悲しみで溢れていたのでした。

 なんか、全てがどうでもよくなっちゃったな〜。

 こんな悲しいことがあった時にどこかへ出掛けられないのが育児の辛い所であります。嫌なもの・ことから離れる、ができないんです。本当はやさぐれて庭に出てタバコでもスパスパやりたいくらいです(実際はタバコを生まれてこの方一度も吸ったことはない)。それくらい心はやさぐれていました。どうにかして物理的に距離をとりたい私はひとりキッチンに向かったのでした。

 キッチンは私がお家の中で1番落ち着ける場所です。そこにお気に入りの背もたれがついた椅子を一脚、程よく音が遮断されるイヤホン一組、こつこつ貯めたポイントで買ったダージリン香るチョコレートを一箱、半分ほど読んでいるエッセイ(阿佐ヶ谷姉妹さん)を一冊、そして母からもらったお昼から飲んでいる甘くないカフェラテを半分、作業台に用意したのでした。
 目の前のリビングでは子ども達がせっせとテレビを見ています。イヤホンをつけるとその音が程よく聞こえなくなります。私にはちょっと大きいその音。ちょっと大きいその存在。それが小さくなると子ども達と適度な距離になったように感じてほっとしたのでした。
 あとはひたすらに本の世界へ入ります。時々甘いものを口にして体がじんわり優しい気持ちになるのを感じます。チョコレート、常備しておいて良かった〜。紅茶の香りがふんわりと鼻に抜けるのも嬉しい。ダージリンも好きだけどアールグレイが良かったかな、なんて思いながらももう一つ口にする私です。口の中が甘くなりすぎた時は少し苦いものを。私は本に集中すると飲んだり食べたりすることを忘れるので飲みかけのカフェラテがちょうどいいんですよね。
 こんな時、エッセイはこれまたちょうどいいんです。思いっきり悲しいお話はないから。深刻すぎるお話もない。ちょっと心がほんわかするお話や、お腹がぐーとなるお話が多くて、気づけば私の苦々したやさぐれ心はほどけて、後味ちょっと苦味を残すくらいにまで薄まっていたのでした。

 生きていると色々ありますね。朝は絶好調だったのに、まさかこんなことになるなんてね。子ども達と生きていると1日の高低差が激しすぎて。その波に乗れているんだか溺れているんだかわかりません。これだから人と生きるのは辛い。自分ではコントロールできないものがありすぎる。だから面白い、とも言うんですけどね。
 でも無事に海岸に流れつけばいいんです。私が流れ着いたキッチンという海岸はとても穏やかで優しくて、悲しみも怒りも落胆も、全てを包み込んでくれました。私はそこで去っていく波を目の端に入れながら甘いものと本に癒されたんだと思います。ちゃんと流れ着く先を用意しておいて良かったと、昨日までの自分に感謝しながら。

 苦いものは簡単には無くならないけれど、きっとそのうち発酵して人生の旨みに変わっていくんだと思いたいですね。また明日からも波に翻弄されながら、すいも甘いも苦いも感じながら、それでも人と一緒に暮らしていく私です。

 

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