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02 OTOMO設立までの話

こんにちは。これからnoteに記事を書いていく森下奈津です。どうぞよろしくお願いします。
まずは、今回から数回にわたり、株式会社OTOMOについて会社設立に至る話から、どんな思いを持った会社なのかを、代表取締役社長である橋本恵(以下:めぐさん)へのインタビューを通して紹介していきたいと思います。
今回は、会社設立に至るまでの話を聞いていきます。

会社を作るまではフリーで仕事をされていましたが、どうして会社を作ろうと思ったのですか?
めぐさん:株式会社OTOMOは2016年に創立しましたが、その前身であるOTOMOは2014年にスタートしました。OTOMOを創業したのは、創業前にプロジェクトで森下と一緒に冬季オリンピックでソチに行った際に、クライアントの方が個人と契約することに大変困られたので、屋号があったらその負担を軽減できたんだなぁと思ったことがきっかけでした。さらに、ソチから帰ってきて森下に「この後どうするのか?」と聞いたら、スポーツ栄養をしたいと言ったので「じゃあ屋号つけよう」ということになりました。一緒にやろうと言った時「うん」と答えると思っていなかったし、それがなかったら会社にしようということも考えていなかったと思います。ですから、みなさんが思い描くような、熱い思いで起業したわけではありませんでした。

しかし、蓋を開けてみたら「チームでやるって思いの外いいな」と思いました。1+1が必ずしも2ではなく、3にも4にもできる。色んなことができました。

具体的に、どんなことがよかったですか?
めぐさん:最初に2人で始めたのはスポーツ寮の運営です。1人ではできることではなかったので、それができるようになったのは大きかったです。性格的にも寮母業は1人ではできなかったと思います。寮での食事提供は、知識で与えるのではなく、「これを食べましょう」と毎日バランスのよい食事を提供します。毎日、そういう食事を食べ続けることによって、バランスのよい食事を再現できるようになるということは、以前いた育成年代の選手が在籍するスポーツ寮で働いていた時の経験から知っていました。
その寮では定食型の献立を出し続けていたので、卒業生たちは定食型の一汁三菜の献立を組むことができます。毎日の食事が生きた教材になっていました。ですから、寮を運営することで、寮の子達は授業をするのではなく、生きた食材で学び、寮を出ていく時には一汁三菜でバランスが取れるようになる。これは一人ではできなかったです。そういうことができたので、ビジネス的に広がりました。

スポーツチームにおいて予算もありますが栄養士業(面談や食事サポートなど)だけでは、常勤レベルの仕事量を作るのは難しいです。毎日アスリートに付いてご飯を作ることによって、よりよいアドバイスができます。何より、アスリートの様子や些細な変化を感じることができます。
ただ、アスリートとの距離が近いとNOが言えなくなったり、要望ではなくわがまままで聞いてしまったりなどの危ないこともあります。そうならないために、会社の理念やアスリート像を共有しています。

会社を株式化したのはどうしてですか?
めぐさん:OTOMOから株式会社OTOMOにしたのはスペインに住むことになったからです。特に戦略はありませんでした。ただ、株式会社にしたおかげでいただけた仕事もあったので、よかったと思います。

めぐさん、ありがとうございました。
一番初めの寮の運営は、印象に残っています。食事を通して寮生たちが一汁三菜+二個を覚えてくれたり、一人暮らしをしたらこの料理を作ってみたいと言ってくれたり、嬉しかったですね。
次回は、OTOMOの社名の由来を聞いていきます。