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見ていてくれてありがとう!~輝かしき未来へのエール~

小学校4年生のシシオのクラスに、教育実習生が来た。

かっこいい(かどうかは聞かなかったが)優しい教育実習生らしい。変わり映えのない小学校の日常に、ちょっと彩を加えてくれる出来事だったのだろう。普段は学校の様子をあまり自ら語らないシシオなのだが、実習生が来ていた二週間は、帰宅後、学校でのあれこれを私に話してくれたりしていた。


「明日でお別れなんだ。ちょっと寂しいな。」

教育実習生とのお別れの前日、そうシシオは言った。けれどこの二週間、シシオが実習生と絡んだ話は特に聞いていない。休み時間に親しく遊んだわけでもなさそうだったし、授業中実習生に指名されてちゃんと答えられたとか、そんな話も聞いていない。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、給食時間は各々が前を向いて静かに食べるスタイルなので、実習生を囲んでおしゃべりが弾んだ楽しいランチ~なんて雰囲気も全くなかったであろうし、掃除時間にバカ話をしながらほうきを振り回したり雑巾を投げ合ったりなんてこともなかったはずだ。でもシシオにとっては、たまたま自分のクラスを担当してくれたお兄さん的存在の実習生に、一方的に親しみを感じていたようだった。


教育実習生とお別れしたその日、「これ、もらったよ!」と、小さなカードを私に見せたシシオ。それは実習生がクラスの一人一人に宛てて書いた(であろう)直筆のお別れメッセージカードだった。


【2週間ありがとう!トイレのスリッパをいつも直してくれてる姿は、必ず誰かが見てくれています。これからもそんな素てきな姿を見せてくださいね】


シシオは学校では物静かで、自分から友人に積極的に話しかけるようなタイプではない。運動能力も特に高いわけではないので、イベントごとで目立つような存在でもない。でも、とても心が優しく、強い正義感がある。人が見ていようがいまいがズルは絶対にしないし、困っているお友達にはそっと手を差し伸べることができる子だ。しかし残念ながら、この世の中はそういう良い部分に限ってなかなかクローズアップされないものだ。だけどそれは、親の私たちさえ分かっていれば良いものなんだと、ずっとずっと思ってきた。が、たった2週間で、教育実習生は見てくれていたのだ。


シシオから受け取ったメッセージカードを何度も読んだ。涙がぐっと込み上げてくる。こんな嬉しいことがあろうか。人の良い行いは、こうして誰かが見てくれているのだ、世の中そんなに悪くない。シシオの満足そうな顔が、私の心を「幸せ」で満たしてくれた。


私もその昔、教壇に立っていた一人である。小さい頃からの夢が叶い教員になれた喜びは半端なかった。数年間という短い教員生活ではあったが、毎日がそれはそれは楽しかったし、自分なりの一生懸命をやっていた(つもりだった)。だが、今、思う。クラスにいた一人一人をちゃんと見ていたであろうか?教育実習生のメッセージカードを手に、反省の念と、感謝の念とが交錯する。ありがとうございます。シシオと出会ってくれて。シシオをしっかりと見てくださって。実習生の輝かしき未来にエールを送る私であった。


20200924



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