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父のマイブーム「父の遺言VOL2」~変化するコロナ禍の遠隔介護

イチローさん(父・89歳)からまた「話したい事があるから全員集合」と家族に連絡がはいる。前回は父の日に「自分の死に方」とお葬式、遺影についての訓辞(笑)があった。

何かにはまると止まらないイチローさん。今回は自分史を書き始めたのと、資産運用の講座に通って刺激を受けて、家族に話しておかなくちゃ、とスイッチが入った。

まずは、前回に続き、岡山県が作る「最期まで自分らしく生きるために~各種リーフレット」の第二弾、「考えよう、これからのこと」。これ、よくできてる。

律儀に名前書いてます。


ラインマーカーはイチローさんのクセ
デイケアでやっていることがやっと楽しみに。

小旅行、連れて行ってあげたいなあ。

「ほのかの湯」「温泉たまの湯」にも行きたかったんだあ。そうかそうか。

さらに「伝えようあなたの思い」と言うバージョンもある。

はっきり、イチローさんの生きる意味が書かれている「楽しくない生活はしたくない」そうかそうか。今の施設を選んだ理由が。そうか24時間見守りか、基本的な安心安全は必要だ。

生きているうちに、意思を家族や大切な人に伝えておくことの必要性はよく言われる。ただ、イチローさんが繰り返し言っていたのは「今、思うとることじゃからな。変わるカモしれんで」そう、変わってもいい、家族で確認したのも大きい。

それから、今書き始めた「自分史」<思い出ノート>の話に。

こういうの探してくる名人
自分の人生を振り替える

イチローさん何度も何度も書こうとして、挫折した「自分史」

この自分史を書くために戸籍謄本を取り出し、家族に説明。なんと、父に死産した「三郎」さんという弟がいたことを教えてもらった。知らなんだ。お墓にも名前が入ってないから知らなかった三郎さん。三郎おじさんが生きていたら、なんていう妄想も浮かんでくる。

そして、資産のこと。相続のことと講義は続く。

こうやって、親が「過去」と「今」と「これから」を繋げようとしていること、それを私たちに伝えようとしてくれることは、本当にありがたい。

が、ここまで来るのに10年近くの歳月がかかったのも事実。親と疎遠になって何十年もたっていたから、もう一度親との関係を創りなおすところから始めざるおえなかった。貯金通帳の額を教えてもらうまでに5年かかりました(笑)。もし、あなたが親と中々うまく話せない、と思っていたら、長期戦で考えるしかないのかも。

ただ、10年かけて作ってきた親子、家族の再生期間は、その時は辛い事イヤなことは一杯あったけど、今が一番いい関係であることは間違いない。

お父ちゃん ありがとうございます。

オトハルラジオ三三五五(40代50代のココロとカラダと暮らしの変化を応援するみよしの活動 オトナ思春期をデザインするプロジェクト(オトハル)のメデイア)で、お金のプロ友 安田先生の親とのどう向き合うか、も参考になるカモ。(アーカイブでいつでも聴けます)

7月20日安田先生告知



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