魔法少女の系譜、その2~『魔法使いサリー』~
某SNSからの『魔法少女の系譜』シリーズの転用、どんどん行きます。
さて、冒頭から、いきなり謝罪です。
前回に挙げた、「魔法少女もの」を解析するための視点に、抜けている項目がありました。申し訳ありません。
[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
に、
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
を加えます。
そうして、やっと、本題です。
今回は、魔法少女の草創期に、さかのぼってみます。
日本のアニメに、初めて登場した魔法少女は、『魔法使いサリー』(以下、『サリー』)です。これは、横山光輝さんの漫画が原作です。原作漫画は、一九六六年(昭和四十一年)~一九六七年(昭和四十二年)に連載されています。
連載されていたのは、『りぼん』です。明らかに、少女向けの作品であったことが、わかりますね。
テレビアニメの放映は、一九六六年(昭和四十一年)~一九六八年(昭和四十三年)です。
当初は、半年で放映終了の予定でした。それが、人気が出たために、こんなに長くなったそうです。
『サリー』が成功しなければ、日本で、「魔法少女もの」が、これほど栄えることは、なかったでしょう。それを考えると、偉大な作品ですね。
『サリー』は、何もないところから、ぽんと生まれた作品ではありません。直接的に、米国のテレビドラマに触発されたことが、関係者によって、明らかにされています。
そのテレビドラマとは、『奥さまは魔女』(以下、『奥さま』)です。日本でも放映されたので、御存知の方が多いでしょう。
米国のテレビドラマ『奥さま』は、米国で、一九六四年から、一九七二年まで、放映されました。たいへんなロングランシリーズなのが、わかりますね。それだけ、人気がありました。
日本では、一九六六年(昭和四十一年)から、日本語吹き替え版が放映されました。日本でも、人気になったのですね。だからこそ、『サリー』が生まれました。
『奥さま』は、決して、少女向け(子供向け)の作品ではありません。むしろ、大人向けです。何しろ、ヒロインは、新婚の妻―かつ、魔女―ですから。立派な大人です。
よく、日本の「魔法少女もの」を語るうえで、「欧米文化圏では、魔法少女もの(魔女っ子もの)は、あり得ない。魔女のイメージが悪すぎるから」と、語られます。
この言説は、半分正しくて、半分間違っている、と思います。
「魔法少女もの」を、どう定義するかで、この言説の評価は、違ってきますね。
私の定義では、「欧米文化圏にも、魔法少女ものはある」ことになります。
私の魔法少女ものの定義とは、前回、書きましたように、
「何か、超常的な能力を持つ少女(または、大人の女性)が、その超常的な力を使って、問題を解決したり、逆に騒動を起こしたりする話」
です。
これによれば、『奥さま』も、魔法少女ものの範疇に入りますよね。
しかも、この作品は、はっきり「魔女」という言葉を使っています。魔女のイメージが悪い欧米文化圏でも、魔女を登場させる娯楽作品はありだという証拠です。
『奥さま』と、それに触発された『サリー』とを、比べてみましょう。
ヒロインの年齢は、『奥さま』が大人で、『サリー』が少女です。
これは、大人向けの作品から、子供向け(少女向け)の作品にするうえで、当然だと思える改変ですね。
他は、上記の[1]~[6]の視点で、比べてみます。
[1]魔法少女の魔力は、何に由来しているか?
これは、『奥さま』と、『サリー』とで、共通しています。「魔法が使える種族(魔女)だから」です。
この理由によれば、ヒロインの周囲の人間(=視聴者)が、魔法を使えない理由も、作ることができます。「そういう種族に生まれなかったから」ですね。
この「魔力は、血筋で決まる」思想は、納得しやすいのでしょう。
このために、この思想は、のちの多くの「魔法少女もの」に受け継がれます。
[2]大人になった魔法少女は、どうなるのか?
『奥さま』のほうには、この問題はありません。すでに大人ですからね。
『サリー』は、少女ですから、この問題が出てきます。
でも、『サリー』でも、これが大きな問題とはなっていません。
なぜなら、サリーちゃんは、生まれつきの魔法使いで、もともと、「魔法の国」の人だからです。大人になったからといって、魔法を失う理由はありません。現に、「サリーちゃんのパパ」は、魔法の国の王さまで、偉大な魔法使いということになっています。
サリーちゃんが大人になって、人間界で暮らしにくくなったとしても、もとの「魔法の国」に帰ればいいだけです。
ヒロインは、人間界の一時的な滞在者という扱いです。
この、「ヒロインは、人間界の一時滞在者に過ぎない」思想も、のちの多くの「魔法少女もの」に受け継がれます。
[3]魔法少女は、いつから、なぜ、どのように、「変身」を始めたのか?
『奥さま』も、『サリー』も、魔法を使って、他の人物や動物などに変身することはあります。
けれども、現在の魔法少女―例えば、『プリキュア』シリーズ―のように、特別な、魔法少女としてのコスチュームに変身することは、ありません。
そもそも、この頃のアニメの登場人物たちって、普通に着替えることすら、しません。いつも同じ服装です。
アニメの草創期には、登場人物たちに着替えさせている余裕なんて、なかったんでしょうね。
[4]魔法少女は、「魔法の道具」を持っているか? 持っているなら、それは、どのような物か?
『奥さま』のほうは、特別な道具は、持っていません。
『サリー』のほうも、魔法を使うのに、特別な道具は持ちません。ただ、空を飛ぶには、箒【ほうき】に乗ります。
『奥さま』で、箒に乗って、空を飛ぶシーンがあったかどうか……すみません、ここがわかりません。
御存知のマイミクさんがいらっしゃれば、御教示下さい。
『奥さま』に、箒のシーンがあってもなくても、『サリー』の箒は、伝統的な、西洋の魔女のイメージから取ったものであることは、確実ですね。
サリーちゃんは、空を飛ぶとき以外には、道具に依存しません。道具を使わずに、魔法を使うことができます。
[5]魔法少女は、マスコットを連れているか? 連れているなら、それは、どのような生き物か?
『奥さま』には、マスコットにあたるものは、いません。
『サリー』には、マスコットの原型と考えられるものがいます。カブという名前で、見た目は、普通の人間の少年です。人間界では、サリーちゃんの弟ということになっています。
カブは、マスコットというよりも、登場人物の一人として紹介されることが多いです。普通の人間の姿だからでしょう。
しかし、カブには、のちのマスコットの片鱗が見えます。私は、「魔法少女もの」のマスコットの元祖は、このカブだと思います。
カブは、サリーちゃんと同じく、魔法の国から来た存在です。当然、魔法が使えます。
魔法の国では、国王であるサリーちゃんのパパの家来をやっています。サリーちゃんのお目付け役的存在として、パパに送り込まれているようです。
カブは、たびたび、カラスのような鳥の姿に変身します。
ね、マスコットっぽいでしょう?
とはいえ、カブは、のちのマスコットとは、違う面も見せます。いたずら好きで、かなりの頻度で、騒動の元になることです。お目付け役といいながら、サリーちゃんの邪魔をすることのほうが多い印象があります。
マスコットというよりは、トリックスターですね。
『サリー』のカブに始まった「魔法少女もの」のマスコットは、日本で、特異な発達をします。
これについては、おいおい、語ることとしましょう。
[6]魔法少女は、呪文を唱えるか? 唱えるなら、どんな時に唱えるか?
『奥さま』のほうは、呪文を唱えることは、ほとんどありません。ヒロインのサマンサは、ちょっと唇を動かすだけで、魔法を使います。
『サリー』のほうには、明確な呪文があります。主題歌にあるとおり、「マハリク、マハリタ」です。
魔法をかける時に、呪文を唱えるのは、伝統的な魔女のイメージにならったのでしょうね。箒に乗って飛ぶのと同じです。
『サリー』が、箒や呪文といった、伝統的な記号を持ちだしたのは、子供向け(少女向け)に、わかりやすくしたからではないかと考えます。
大人なら、ちょっとした仕草や、会話からでも、「この人、普通の人間じゃない」と感じさせることができます。けれども、子供に対しては、そういうことは難しいですね。
最近の「魔法少女もの」では、箒や呪文は、流行らないようですね。
なぜそうなったのか、興味深いところです。
『奥さま』の日本でのテレビ放映と、『サリー』のアニメ放映とが始まった一九六六年(昭和四十一年)は、日本の魔法少女史にとって、画期的な年でした。
翌年の一九六七年(昭和四十二年)にも、魔法少女史に特筆すべき作品が、登場しています。
というところで、続きは、次回に。