見出し画像

歩くが手段か目的か

なちくび? モーチカです。

さっき、夕方の住宅街をさんぽしてきました。夜の話ばっかしてるけど夕方もすき! たそがれ時とも言いますね。誰そ彼、要は向こうを歩く人間を識別できない時間帯ですね。焼けた空を追いかけていると人を見かけることもありましたが、顔までは見えない。そもそも誰とも会わない夜とはまた違った気安さがありますネ。

明かりがともる家々から、子供のはしゃぐ声やなだめる親の声、おふろやご飯のいいにおいなどが漏れてきます。言わば、誰ともない人の気配に満ちている。モーチカは果てない草原で風がビュビュンと吹いていても平気ですが、都会の人混み肩がぶつかったらひとりぼっちを痛感します。ちょっぴり子供か? 人の気配はこんなにあるのに、今歩いているのはモーチカだけ。

偶然すれ違った人は、おそらく帰路についていたのでしょう。もしくは買い物に行く途中だったのかな? スマホをいじりながら歩いていました。モーチカは歩くのが目的でしたが、たぶんその人は何かほかの目的があって、その手段として歩いた。

なんかの手段としてなんかBを選んだとき、なんかBは退屈になっちゃうのかな。モーチカも歩くのはすきですが、徒歩で通勤した時はあんまり楽しくなかった。帰り道なんて早く帰りたいしか思ってなかった気がする。

絵もそうなのかな。シナリオもゲ制も。ゲームのために絵を描くこととか、コンテストに出すためにゲーム作ることとか。いまいちやる気が出んかったのは創作をなにかの手段として捉えていたから…? それでも目的が明確ならまだよくて、このゲームを作ったからこの絵が必要だぞって時は描くのよ。ただ漠然と絵うまくなるためにってやった練習が身になったことって多分ない。

目的が明確ならいいのか…? でも帰るっていう目的が明確な時でも歩いてて楽しくなかった…。ここで言う目的が明確ならって、要は進みはするという意味では? 楽しいかどうかは別として。楽しむなら目的と手段を同じにして、進めるなら目的を明確にして。

今日べつにこんなこと書く気なかったのよ。夕方もすきですよってこと書こうとしてたの。なんか筆が乗っちゃったな。これって要は手段と目的が一致していたのでは? 書いてて楽しかったし。

よく分からん。またね。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?