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砂浜と悪意

 初老の男が去った後には男女4人の笑い声が砂浜全体に響きわたっていた。民家や民泊、新築のコテージが潮風に吹かれ明かりを灯していたが、夏の夜と若者たちの奇声は近隣の住民には馴染み深いもので、だれも、気にするものはいなかった。

 若者が暇を持て余して海辺に集まり、明日には忘れてしまうような、些細な会話や大げさな自慢話や産毛をたくわえて生暖かいままの色恋話は幾万となく生まれて、彼らがその場を去るころには暗い海の底へ吸い込まれてしまう。誰もが経験したことのあるような記憶は、誰もが経験したであろう苦難や困難であっさり塗り替えられ改変され、記憶の奥底に煌びやかな佇まいで漂い続けることだろう。我々はそれらを慈しむかのように思い出すこともあるが、大抵は若さゆえに犯してしまった悪辣で低俗で救いようのない気まぐれの数々で、その瞬間に必要な光を見出し、理想的な光景でその事実を覆い隠してくれる。この日の出来事もいつかそうなるのだろう。

 男は階段を数歩上り、彼らのほうを振り向いてみた。一人の若者が投げつけてきた煙草はまだ火が点いていた。煙草が眉間をかすめたせいで目をうまく開くことができず、海風が傷を撫でると涙が出てくる。
 右手で目元をこすり、視線を凝らすと、若者たちはさっきの騒ぎを忘れたかのように互いに寄り添い、抱き合い、まさぐりあっていた。男は、しばらく忘れていた色欲のいろはをふいになぞったが、彼らの奥で静かにしている夜海の存在に慄いて、目を閉じ、呼吸を整え、頭を垂れた。

 男は静かに階段を上りきり、近くに止めてあった空気の入っていない自転車へと歩いていく。
 若者たちが男に向けた純粋な悪意は、大人の世界ではなかなか味わうことができないものだった。憐れみや慈しみは社会を慰めるために機能しても、男にはなにも与えなかった。それは社会の、最後の道具として生きている証であると同時に、余白でもあった。余白に放り込まれた純粋な悪意は男に力を与えていた。そのささやかな贈りものは、さっきまで己を苦しめていた空腹を忘れるにはちょうど良かった。力に触れることができた体はまだ、生きることができそうだった。

 自転車にまたがり目を擦りつつペダルを踏み込む。形ばかりのタイヤはアルミの車輪が回転するたびに、こつん、こつん、と音を立てた。車輪が地面にあたるたびに、老いおぼれてふやけたような皮膚を微かに揺らす。
 男は自転車を漕ぎつづけた。目的地はなかった。もうずいぶんと前からこうやって、行くあてもなく彷徨っている。海辺へ立ち寄ったのも、通りすがりに海があり、広い砂浜があり、その片隅で誰にも邪魔されずに少し眠れる気がした、それだけの理由だった。
 もうそろそろだと思っていた。眠ったら最後だろうと考えていた。だが、力を与えられた体は再び「それだけの理由」を欲していた。
 男にとって生き延びることは重要ではなかったが、力がある限り、身体は求める。それに逆らうほどの意志は持たず、ただ流れていくように男は生き延びることだろう。

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