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バランスは内ではなく、外に。

何ごともバランスが大事だ、といわれる。

健康によくても食べ過ぎはよくない。生野菜は冷えの原因になるし、豆腐ばかり食べていると動物性たんぱく質が不足する。運動のやり過ぎは体を痛めるし、お金を使い過ぎると破産するし、素直過ぎると嫌われる。一方で、適量のお酒はリラックス効果があって、時々はわがままになって自分にご褒美をあげて、何ごともバランスです……って、難しすぎる!

会食ではいつも、飲み過ぎ、しゃべり過ぎ、翌日ちょっと落ち込むわたしにとって、バランスがいい状態や適量といった感覚は、物心がついてから今までずっと、鳳凰や龍やユニコーンのような幻のヒーローだった。


先日、あるウェビナーに参加した。テーマは #フードイノベーションの未来像 。文化人類学者からみた食のパーソナライゼーションを考える、とてもおもしろい企画だった。そのなかで、ゲストの小川さやかさん(文化人類学者/専門はアフリカ研究)が、このような発言をされた。

「タンザニアの人たちは、大皿料理をみんなで食べます。私のように少食だと、よく食べる人がその分を食べてくれるので気楽です。また不思議なぐらい、みんな同時に食べ終わるんです。それは4人で食べても6人で食べても同じ。あと、急に人が増えた場合、食べるスピードが突然ゆっくりになったりします。これは、みんなが食事に満足できるための工夫。つまり、シェアという関係性のなかに、個人の食べる量が存在しているのです」(小川さやかさん)

この話し、どこかで聞いたことがある……と探してみたら、これだ!

隣の家に住んでいるリーファが塀越しにいつもの声。彼女は料理上手で、1週間に約1回の頻度で、手料理のおすそ分けをくれる。今日は生姜たっぷりの魚粥をとどけてくれた。ちなみに、おすそわけの料理の量は、メニューがなんであれ、たいてい丼一杯程度。みんなで味見してね、というぐらいの気軽な量だ

マレーシアごはんの会

マレーシアごはんの会」のWebサイトで過去に連載した「タンマリのコラム」。マレーシア人と結婚したタンマリさんが、マレーシアの実家で過ごす日々をつづった日記だ。

リーファのおすそわけは、いつも丼1杯。辛い料理だから大人だけ、甘い料理は子ども用に、のような感覚はなく、どんなメニューであってもいつも量は同じ。その気軽なおすそわけを、食べたい人が気軽にわける、というバランス感覚だ。

こんな記述もあった。

わが家の日曜日の晩ごはんは、誰かが買ってきた料理がテーブルにおいてあるので、各自が好きな時間に、好きな量を盛り付けて、じぶんで温めて食べるスタイル。子どももちろん、自分でだすよ。

マレーシアごはんの会

テーブルに置いてある料理をじぶんで盛り付けるというスタイル。たしか取材時に「好きな料理を全部食べてしまった子どもが、後の人のことを考えなさい、と義母に怒られていた」と教えてくれた。まだ食べていない人のことを考えて、じぶんの分をよそうというバランス感覚だ。


小川さんとタンマリさんの話は共通していると思う。
それは、人と人との関係性のなかに個人のバランスがある、ということ。そして、そのバランスは、たえず変化する相対的なものだ。

そうか、文字にしたら当たり前のことだった。なぜならバランスとは、ふたつの価値がつり合うことだから。バランスや適量は、わたしの内側ではなく、わたしの外側に、あなたとの間に、あったのだ。


ひとりっ子で育ったわたしは、兄弟姉妹と何かをわけあった経験がない。だからなのか、なんでもイチかゼロで考えてしまう。でも、こんなわたしであっても、人との関係性のなかであれば、バランスを見い出すことができる。

それはひとりで見つけるより、ずっと簡単で、ずっと心地いい。

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マレーシアのスイーツ「レンチーカン(蓮の実水)」を作りました。タリナ先生のオンライン料理教室で習うメニューです。6月10日はバースデー麺、24日はカピタンカリーと続くのでよかったらぜひ。

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