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なぜ惹かれるのかを考えてみる。

世界のしくみを可視化した国。
わたしはマレーシアをそんなふうにとらえている。

なんのこっちゃ、と思うかもしれないけど、こんなふうにいえば、伝わるかな。

さまざまな民族がいる。それぞれに信じている宗教が違う。風習や文化などが異なる人々が同じ社会を構成している。

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これはペナンのバス停のふだんの様子。いろんな民族がいるのが人々の衣装からわかるかな。

つまり“多民族国家” のマレーシアの社会は、たしかに国という単位でみればめずらしいけど、視点を変えて、世界という広い目でみれば、なんら不思議なことはない。民族や宗教や文化がいろいろあるのは、まさに世界そのものだ。

だからマレーシアを旅していると、ひとつの国にいるというより、世界という場所に訪れたような気持ちになる。知識やイメージでしかなかった世界というものを実体験できる国といってもいい。

たとえば、言語。

町を歩けば、さまざまな言語で書かれた看板や標識が目に入ってくる。英語、マレー語、中国語、ヒンディー語、アラビア文字もある。

これらがどのように使い分けられているかというと、マレー系に向けたレストランは、マレー語の看板やメニュー表を用意。マレー系も食べにきて欲しい中国系オーナーの食堂は、英語やマレー語を併記。お客さんがほぼ中国系のみの漢方店は中国語表記のみ。リトル・インティアとよばれるエリアに行けば、ここインドじゃん!と思うぐらい看板も料理名もタミール語だらけだったりする。

そうそう、昨年マレーシアを訪れたとき。モノレールに乗っていたら、目の前に立っている若い女性の3人組はマレー語でにぎやかにしゃべっていて、隣のカップルはなにやら深刻な表情で英語で会話。携帯で話すドア近くの女性からは中国語が聞こえてきた。

いろいろな言葉が同時に聞こえてくる車内。こんな空間にいると、わたしは世界にアクセスしているような気分になるのだ。


さて、『細い目 Sepet』というマレーシア映画がある。

今は亡きマレーシア人の映画監督ヤスミン・アフマド氏の作品で、2005年に東京国際映画祭で最優秀アジア映画賞を受賞。ジェイソンとオーキッドという、異なる民族に属するふたりのラブストーリーを中心に、マレーシアの多民族、多宗教という社会をそのまま映像に映しだした名作。制作から10年以上たった今見ても、この作品のすばらしさはひとつも色合わせることなく、昨年は日本で待望の全国ロングラン上映が行われた(上記Web参照)。

多言語の様子が、Webサイトで公開されている予告編を見てもわかるので、ぜひ見て欲しい。日本語の字幕を読むだけだとわからないので、よく耳をすませてね。

ジェイソンがインドの詩人タゴールが書いた詩を中国語で読み、それに対して、お母さんがマレー語で答えている。中国語の歌が流れ、その音楽にのってコーランのアラビア文字が映り、ジェイソンと恋におちるオーキッドのクローゼットは香港スターの写真。そしてお母さんに英語で答える、という場面だ。

そう、たった2分13秒の予告編の間に、中国語、英語、アラビア文字、マレー語の4か国語が出てくる。このミックスっぷりはすごい。映画の世界でしょ、と思うかもしれないが、これがマレーシアの世界。

おもしろいな~。マレーシアという国は本当におもしろい。なかなか行けなくなった今、あらためて思う。
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マレーシアで買ったおみやげ、ココナッツのおかしたち。左より、ココナッツキャンディー、ココナッツ味のパフ菓子、ココナッツチャンク。とくにお気に入りはココナッツチャンクで、実をそのままフリーズドライにしてある。写真の黒胡椒味は、甘&辛味のミックスが最高。

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