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映画『ムーンライト・シャドウ』を見て。

吉本ばななさんの名作『キッチン』(新潮社)。この本に収録されている短編小説『ムーンライト・シャドウ』が映画化され、9月10日より全国公開されている。

主人公は、大学生のさつき。突然の交通事故で恋人の等を失ったさつきは、100年に1度の奇跡といわれる月影現象(ムーンライト・シャドウ)に引き寄せられ、不思議な体験をする。主演は、小松菜奈さん、宮沢氷海さん。監督は、マレーシア人のエドモンド・ヨウさん。

実は、エドモント監督とはマレーシアつながりでご縁があり、Hati Malaysiaの文化講座の講師を務めて下さったりと大変お世話になっている。そんなエドモンド監督と吉本ばななさんがコラボするなんて。見る前からうれしい。


2回見た。想像以上に吉本ばななワールドだった。それは、幻想的なストーリーなのに、とてもリアルな世界観。登場人物が皆たしかに存在しているという実感、といったらいいのかな。そんな感覚に包まれた。


この映画には、2つの世界が描かれてると感じた。

さつきから見ると、等が生きていた世界といなくなった世界。言葉を変えれば、生きているものの世界と死んだものの世界。

この2つの世界は行き来できず、互いに会いたい人には決して会えない。それは悲しい世の理で、そのルールの下にわたしたちはいる。


そういえば、ある出来事から世界が2つに分かれる、という描写は、エドモンド監督作品にしばしば現れる。

たとえば2020年公開の映画『Malu 夢路』。東京国際映画祭で話題になり、一般公開された日本とマレーシアの共同制作作品だ。あの映画では、母親の死を境目に、主人公である姉妹の世界はそれぞれガラリと変わっていた。とくに妹は、マレーシアから日本へ留学。無口だった彼女が、初対面の人にじぶんの出身を異なるストーリーで饒舌に話している姿は、まるで別人のようだった。母親が生きていたときのじぶんと決別したのだろう。


現実でも、2つの世界を体感するのは、もちろんある。

映画を見ながら思い出していたのは、1ヶ月前に亡くなったうちの犬、ボレのこと。ボレがいた世界とボレがいなくなった世界。この2つの世界はまるで違う。そして決して混じらない。時間は巻き戻しできない。


でも、分断された厳しい現実の世界を描きながら、この映画は、やさしいエールもくれた。それは、先生が語ってくれた昔の水脈の話し。汚染された水脈でも、深く、深く掘れば、また綺麗な水が出てくるんだよ、と。あの言葉でわたしの心は溶かされた。2つの世界は行き来できないけれど、深いところではちゃんとつながっているよ、と聞こえたから。

そうだ。映画のラスト、坂道を歩きながらさつきが前を向けたのは、等とともに過ごした日々があったから。

そうだ。もともと動物が苦手だったわたしが犬をかわいいと思えるのは、ボレがいた世界があった証。


時間も意識も生死も現実も空想も。分断されているように見えて、すべて深いところでつながっている。だからわたしたちは、どんなことがあっても、また歩き出すことができる。そう思った。

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犬が亡くなってからも、いつもの散歩道をウォーキングしている。さつきと違って、わたしは橋を渡る。そして戻ってくる。この日は、川面でたくさんの鳥が遊んでいた。翌朝、同じ場所から川を眺めると、鳥は一羽もいなかった。毎日は同じことを繰り返しているように見えるけど、決してそうじゃないんだね。

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