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スクールカーストは大人になっても続く③

②のつづき。



大学生のおとうふ

東大にも第一志望の大学にも入れなかったが、通い始めるとその大学をすぐに好きになった。
英米学科という事もあり、クラスの8割が女子だった。
田舎の校則が厳しい高校から、都内のお洒落な大学に通うとなると髪も染めたくなるしパステルカラーの洋服も着たいものだ。
いわゆる、大学生デビューである。
原宿で髪を染め、渋谷の109で洋服を買い、表参道のサマンサタバサでバッグを買う。

大学でのスクールカーストは頭の良し悪しではなく、ファッションセンスや顔面偏差値で出来上がっていた。
ルイヴィトンやシャネルのバッグを持っている子がトップに躍り出るシステムだ。
当時はCanCamやえびちゃんが全盛期であり、ミスコンは髪の毛クルクルで細身の美少女がこぞって応募し、そのまま読者モデルかアナウンサーになるのが当たり前だった。

大して美人でもなければモデル体型でもない私は、カースト中盤でウロウロしながらも大学生活を楽しんだ。

この図で言うなら2軍あたりに生息



おとうふのサークル活動

大学生の代名詞とも言われるサークル。
テニスサークルやイベントサークル(別名飲みサークル)、ダンスサークルが人気であった。
万年帰宅部だった私は何を血迷ったか、サーフィン・ボディーボードサークルに入ってしまった。
サーフィンに憧れて軽い気持ちで入ったものの、その活動内容はほぼ部活であった。

最初の春合宿に、デニムのミニスカートとハイヒールで表れた私はそのサークルにとって異色の新人だった。
良い匂いのする新入生に、男の先輩達は浮き足立ち、女の先輩達は嫌味で攻撃して来た。
大学になったら自然消滅すると一説では言われていたが、スクールカーストは大学になっても存在したのだ。

負けず嫌いの私は、「飲みに来てるだけ」「日焼けとか気にして海に入らなそう」と女先輩に言われるのが悔しくて毎週海に通い大会に出場し、黙らせた。
気付いた頃には肌の真っ黒な部長となっていた。
このサークルでは、ある意味肌の黒さ(=やる気)がカーストを作り上げていた。

ギャルが流行らない時代の逆を行く



おとうふの就職活動

上の写真は大学3年の8月。
9月に就活セミナーが始まり、肌を焼き過ぎた事を後悔しながらも、髪の毛を黒く染め就職活動が始まった。

無謀にも航空業会一本に絞り就職活動をした。
そして第一志望であった会社はあっけなく書類落ちをした。
2軍感は否めなかった。
苦悩した末に、唯一内定を貰えた会社に入社し、グランドスタッフとして働く事になるのだった。



つづく。

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