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拒まれても

「主任がまたやってるよ。」

詰め所前の病室から聞こえてくる主任と患者とのやり取りに気づいて、あるスタッフがつぶやく。病棟で働いていた頃、当時の主任は認知症の影響で脱衣行為が見られる患者とよく「格闘」していた。

「かぜひいちゃうから着ましょうね。」

裸の患者さんに優しく、根気強く、服を着せる。着せたはしから脱がれる。そんなやり取りが30分以上近く続くこともある。

しばらくして、彼の部屋をのぞいてみた。やっぱり彼は脱いでいた。

寝相の悪い子どもに布団をかける。何度布団を蹴飛ばされても、母親は不思議と目が覚めて布団をかける。

妻は高校生の娘のために毎日弁当を作る。しかし娘は今、ひどい反抗期の最中。コンビニで買い食いをして、たいてい弁当は残してくる。先日は、お昼に持たせたはずのおにぎりが娘の机の下で潰れていた。おまけにカビも生えている。さすがにこの時ばかりは妻もキレた。だが、次の朝からまた彼女は弁当を作り続ける。

利用者は70代の男性。妻と二人で自宅にいる。彼は脳卒中で入院し、軽い麻痺と高次脳機能障害がある。自発性や病識低下のためリハビリを拒否していたが、見守りがあれば家で暮らせるため、退院となった。彼は一日中テレビの前で過ごしている。時々、椅子の上でウトウトする。そして、目が覚めたらまたテレビをみる。妻曰く、本当にみてるかどうかはあやしい。そんな毎日をひたすら繰り返す。ずっと座りっぱなしなので足はむくみ、筋力は弱ってくる。トイレに立ち上がると、ふらついて転びそうになる。以前は近所の病院まで歩けていたのに、最近はタクシーを使う。このまま廃用が進むことを妻は心配している。

入院中からリハビリを嫌がっていたので、デイケアなど行ってくれるはずもない。訪問の時くらいは体を動かしてほしいという気持ちで私はリハビリメニューを考えた。体操棒やゴムバンドなど興味をそそりそうな小道具を用意した。一度は手に取ってくれるが、「こんなものやらん」とすぐに投げ返される。

しかし、私が訪問すること自体は嫌でないらしい。血圧を測ったり、体重計に乗ってもらったり、リハビリ以外のことには協力的だ。塩分は控えているか、間食はしていないか、水分を摂りすぎていないか、体重が増えていないか、看護師として確認すべきことも色々ある。

それでも、やっぱり彼にはリハビリをしてほしい。
拒否されるとを知りながら私は訪問のたびにリハビリを勧める。
そして案の定、拒否される。

そんな姿を見て奥さんは、
「あんたが歩けなくなったら、困るのは私なんだからね!!」と夫に向って指を差し、声を荒げる。
私は二人の間に入って事態を収拾させる。
こんな茶番が毎週繰り広げられている。

訪問を終えると奥さんは、「いつも失礼な姿をお見せしてすいません」と謝りながら玄関先まで見送ってくれる。そして、「頼んでおいてこんなこと言うのも変なんですが、毎週々々懲りないですね」と感心される。訪問中は険しい表情の奥さんも、帰り際には笑顔だ。

私のしつこさは、奥さんの目にはきっとユーモラスな姿に映っているだろう。しかし、夫の健康を気にかけ、根気よく働きかけてくれる存在そのものが、彼女にとって、幾ばくかの慰めや励ましになっているのかもしれない。

だから、来週もまた私は彼をリハビリに誘うだろう。

何度拒まれても、自分の中から沸き起こってくる、そうしてあげたい、そうしなければ、という思いがある限り。

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